コンプレックスと向き合う 13

<愛はあるか 4>


去る8月19日
コンプレックスと向き合うシリーズの「愛はあるか2」において
娘の作文のことを書いたが
その時の作品が、このたび『友だちにすすめたい本コンクール』の優秀賞に選ばれた



このコンクールは、広島県の高校生を対象に行われたもので
今回の入賞作品は本になって出版されるらしい

昨日娘はその表彰式に出席するため
岡山県境に近いところにある主催大学へ行ってきた

昨年は、校内で優秀賞をいただいたり
ネット関連会社の作文コンクールで入賞したり(ここでは賞金も頂いた)
自分が書いたものにも好意的な評価が与えられる喜びを経験したが
今回の受賞は、これまでより大きな規模であることから
小心者の娘には、随分励みになったと思う
本当に感謝なことだ

娘によれば
今までコンクールを意識せずに気楽に書いたものほど高い評価を得られていることから
やはり自然体〜自分の心に正直に向き合っていく姿勢が最も重要なのだろう

評価を得ることは愛を得ること
決して誉められるために書いているわけではないが
作品を出す時にはいつも
向こう側にいる見えない人々からの愛を望んでいる

一体自分の心の思いがどう理解されるのだろうかと心配するあまり
何も行動しない方が気楽でいいのではないかと尻込みする事もある
それでも、何もしなければ何も伝わらない
だから自分の心をなんとか注ぎ出そうとする
”真の愛を得たいなら、自分も真の愛を提供する”
このスタンスはいつも変らない

今回のコンクールの審査員の中には
主催大学の学長であり、物理学者である牟田泰三氏がおられたが
以前読んだ、牟田氏が恩師である湯川秀樹博士の思い出を語っている記事は
とても興味深いものだった

それは牟田氏が京大で助手を務めていた時代のこと
湯川博士は『研究者は未来を過去のように考えることが重要だ』と語ったが
それ以上の説明がなかったので、同僚らとその意味について話し合い
あるひとつの結論に達したという(以下、牟田氏のHPから抜粋)

 
 最先端の研究をしている者が、新しい発見や理論にたどりつくと
 まずそれが本当に確かなのか非常に不安になるものです。
 他の研究者のちょっとした反論などにも敏感になり
 自説を撤回してしまうケースさえあります。
 そこで湯川先生は
 その発見や理論がすでに確立されて、もう過去のものだ、事実になっている 
 と考えてみろ、 とおっしゃったのではないだろうか、と



 自分の信じた説がすでに認められたものだと思えば自信ができる
新たな境地に踏み出す勇気もわく
そして、研究のために全精力を傾け、心を注ぎだす
研究にかける者の情熱は愛に等しい

牟田氏の話を読んだ時
すぐにこれは信仰の世界と同じだなと思った

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見えていない事実を確認することである」
(ヘブル人への手紙11章1節)


娘がこの先望む自分の未来は
どの分野もいわゆる”お金にならない”世界だ
でも、愛だけは確実にある
そして、その愛が評価される世界
だから、本人には不思議なほど恐れがない

bluemoon20081019-9.jpg

このたび咲いたブルームーンの美しさを、どう表現したらいいのか
わたしは自分の知っている言葉の中で
適切なものを見つけられずにいた

基本のイメージは「純粋」だが、もっと違うものはないか
というわけで、娘に聞いてみると
「清廉」はどうかと言う

*清廉・・・心が清らかで私欲がないこと

ああ、これがいい
人間には遠い憧れの姿を、植物は当たり前のように持っている



(2008.10.20.記)


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