コンプレックスと向き合う 8

<愛されない条件>


コンプレックス克服に必要なのは自信を持つことだと一般的に言われているが
それはなるほどそうだと思う一方で
ひとくちに「自信」といっても、じゃあそれは具体的に何なんだとの疑問が残る
わたしもとりあえず漠然としたイメージでもって
『自分の居場所2』の中では以下のように書いた

”自分がそこで役に立っている”、”必要とされている”との実感のあるなしで
人の自信は全く違ってくる

コンプレックス=劣等感から手っ取り早く逃れるために
世間は反対の優越感に浸る道を模索させようとするのだが
これがいわゆる「勝ち組思想」につながって
それがかえって自分の居場所を見失わせている現状もある


優越感で自信を得ようとする場合
ひとつの自信を持つことですべてのコンプレックスを補えるわけではない
たとえば、ダイエットやお化粧で容姿の自信をつけても
仕事や勉強面が冴えないコンプレックスを克服させてはくれないように
(また、その逆も同様であるように)
本当の自信はそういう一部の表面的なもので得られるわけではないようだ

また、優越感に浸ることで、人は簡単に傲慢になってしまう危険性があり
自分ではそういうつもりはなくても、語る話が常に自慢話であったりすると
やがて周りの人々は嫌気がさして離れていくだろう
孤独が好きだと言う人はあっても、人から嫌われたい人はいない
人が本当に欲している自信とは
”自分がそこで役に立っている”、”必要とされている”との実感であり
つまりこれは”愛されたい”という人間の究極の願望なのだろうと思う
誰からも自分は愛されていないと思った時、寂しくて、空しくて
人は生きる価値さえも見失ってしまうのだ

では、愛される人になるためにはどうすればいいのだろうかという話になるわけだが
ここでは反対に”絶対愛されない人の条件”を語った方が手っ取り早い
というのも、この条件と言うのは
「自己中心」と「傲慢」でほとんどカバーできると思われるからだ

人間の持つ欠点といっても
外見上の問題は欠点ではなく個性に過ぎず
性格の問題も、「人間なくて七癖、まあお互い様ということで・・・」と何とか折り合いがつけば良し

だが、「自己中心」と「傲慢」は別格だ
これは明らかな欠点でありながら、当人の中にはそういう自覚がなく
悔い改める可能性が非常に低い上
他者に多大な影響(精神的負担)を及ぼす危険性が高いため
だんだん誰からも愛されない存在となってしまう
ところが、悲しいかな元々「自分は間違っているかもしれない」との思考がないので
よくあるパターンとしては
自分を被害者として哀れむ方向に物事を推し進めようとしてますます嫌われるのだ

一般には理解されない自分流の理屈で周りを混乱させる”モンスター○○”の存在が
昨今は社会問題になっているが
こういう存在は最近出てきたのではなく、昔からあったと思う

今から30年前
高校生だったわたしは修学旅行の帰りの新幹線に乗り込んだ際
指定された席に見知らぬおばさん二人が座っているのに驚いた
この車両は修学旅行生の貸切のはず・・・なぜこの人たちは座っているの???
思わず友人の一人が「ここわたしたちの席なんですが」というと
おばさんは平然と答えた
「わたしたちは前の新幹線の指定券を買っていたのに
その列車が来なかったのでこれに乗ったのよ」
だから自分たちはここに座って当然なのだと主張する
思わず「それはおかしいでしょう?!」と口々に言うわたしたち女子高生
しかしおばさん達はいっこうにそこを立ち退く気配がなく
たまりかねた友人の一人がつぶやいた
「ずうずうしい・・・」
するとおばさん激怒!
「ずうずうしくなんかないわ!
あなたたちもお母さんになるんだったらいい加減なことは言わないことよ!!」
とまあ、意味不明の発言が飛び出したところへ添乗員さん登場
おばさんたちをなだめながらあっちへ連れて行ってくれた(やれやれ、、)
あれからわたしも二児の母になったが
今だにあのおばさんの発言は理解できない

さて、今日のネットニュースに興味深い記事が乗っていた


『仕事中はうつ 会社の外では元気 「新型うつ病」大流行の裏側』

以下、記事の抜粋(一部)

「新型うつ病」なるものが蔓延しているのだという。
クリニックの予約を取ろうとしても患者が多すぎ、新患は3ヶ月も待たされる場合もあるそうだ。
仕事中にだけうつになり、会社の外では元気、というのが特徴で、
若い世代に目立つというこの「新型うつ病」、なぜ増えているのだろうか
(中略)
これまでの「うつ病」といえば、几帳面でまじめな人がかかりやすく、
落ち込み、自分を責め、自殺に至るケースが多いというイメージだった。
しかし、07年から急激に増えだしたとされる「新型うつ病」は、仕事中だけうつで、
帰宅後や休日は普段通り活発に活動する。
自分を責めるのではなく、身近な人間や社会に対して攻撃的な態度になり、
休職したとしても会社や同僚にかける迷惑などあまり感じない、というのが典型らしい。



要するに、これは昔流に言えば「わがまま病」であろう
つまり原因は「自己中心」
”わたしわがままするけど、みんなわたしのことは愛してね!”といっても
誰もそんなの理解できない
するとたちまち寂しい立場になって
”みんなわたしを理解してくれないわ!”と悲劇のヒロインに・・・というパターンは
学校でも以前からかなり問題になっている

以下は昨年のニュースからの抜粋

中学生の25%が「うつ状態」。
厚生労働省の研究班が約600人を調査すると、こんな結果が出た。
うつ状態は、自殺につながりかねない危険性を指摘されている。
専門家は、いじめの有無ばかりに注目せず、
子供の心の状態に教師や親が関心を高める必要性を指摘している


この”中学生の25%が「うつ状態」”という中には
「新型うつ病」がかなりあるのではないかと思われる
そして、「新型うつ病」が原因で孤独な存在になることを「いじめられている」と主張されれば
学校側は非常に対応が難しい
それは、昔、「いじめ」の問題がクローズアップされるようになった頃
「いじめられる側にも問題がある」との発言に対して物凄い反発があったため
どうしても「いじめられる側はすべて被害者=本人に責任はない」との見方が主流になってしまうからだ
あの頃のツケがいよいよ回ってくる時代になってきたか・・・と
昨今の難しい状況を見ながらしみじみ思う

                 
*****

クレマチス”ロウグチ”
決して華やかなタイプの花ではないが、なぜか人目を引き
楚々とした雰囲気がたくさんの人々に愛されている
rouguchi2008808-1.jpg



(2008.8.10.記)


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