コンプレックスと向き合う 12

<愛はあるか 3>


夏休みの間、娘がずっと気にしていた高等学校独唱コンクールが昨日終了した
ちょうど真ん中で登場した娘は
その顔は今までにないほどこわばって、非常に緊張しているのが一目でわかる
もうこれは鼻血を出すんじゃないかと思った程で
(実際に幼い頃ピアノの発表会で鼻血を出したことがあるし)
これじゃあまともに声が出ないだろうと心配したが
実際には、声量も声の通りもまずまずだったのでその点はひと安心した
でも、娘の方は到底心穏やかではなかったようだ

今回の参加目的は”はじめの一歩”を踏み出すことにあった
今まで誰とも比べられることなく歌ってきたため
これからはもっと世間を知り、他の(同年代の)人の歌を聞いて
自分を磨く材料にする必要があるだろうという訳なのだが
これは決して優劣を競う目的ではないとわかっていても
現実に上手い人の歌を聞くとあせりが出てしまった
そのため
自分の歌を自分らしく自信をもって歌う普段の姿勢から瞬間的に心が離れ
いつの間にか上手い人の歌い方をまねようとしている自分がいたことが
娘にとって最も悔いの残る点だったと言う

このたびわたしも初めてコンクールというものを見て
技術の差はもちろんさまざまだけれど
それ以前に、同じような声で同じような歌い方をする人が多いなあとは感じていた
というのも
娘の声質は少し変っているというか、独特の雰囲気があることから
参加者の中にもきっと色んな人がいるだろうとちょっと楽しみにしていた分
拍子抜けした感じがしたのだ
そして
わたしが漠然と感じたことは間違いではなかったことが
審査員の先生方の最後の総評でわかった

総評の内容はどの先生も意外なほど厳しく
それが毎年のことなのか、あるいは今年が特別なのかはわからないけれど
以下のようなことに心してこれから練習を積んでほしいというものだった

「こう歌うべきというひとつの型にはまらないこと」
「人のものまねをしないこと」
「外観ばかり作ろうとするのではなく、内側から出てくるもので自分の歌を作ること」
「絵画を見たり、色んな経験を通してたくさんのことを吸収し歌に生かすこと」

要するに
技術面でかなりレベルの高い人はあっても
その歌を自分のものにして、自分の歌として
あたかも自分の言葉で語るように歌っている人がいない(少ない)というわけだ
そして、その言葉は、前回わたしが書いた

 コンクールとは、その技量を人と比べられるものだが
 歌に対する愛を問われる試練の場でもある
 果たしてどこまでその心を注ぎ出だせるのか


という内容と重なるものだった

娘はそれを頭では理解しながらも、そして、実際にそうするつもりだったのに
土壇場になって心揺らいだ自分が情けなかった
しかし、他の人の歌を聴いているうちにだんだん自分の歌に自信がなくなって
せっかく持っていた自分の世界から、ついよそ見をしてふらふらとつられて行くのは
”はじめの一歩”には付き物だと思うし
実際にはずっとそういう誘惑との戦いが続くのかもしれない

人につられないために、自分の世界を保つために技術を磨く(練習を積む)
それがやがて本当の自信へとつながっていくのだろう
こうして、歌を愛し、歌っている自分も愛さなくては
いつまでも卑屈な自分からは抜け出せない

『来年は絶対に”自分の歌”を歌う』
今回はじめて自分のレベルも確認し、はっきりした目標もできたことで
娘は来年再び挑戦することを誓った
今後はまた地道な練習を繰り返しながら
”次の一歩”に備えてほしいと思う

*****

庭の吾亦紅(ワレモコウ)が色づき始めている
この花は
「吾(われ)もまた紅(あか)し」と、存在を主張する名が面白い
こんなに地味な花なのに
秋の花材として活け花には欠かせない存在だ
花の価値も決して外観だけに左右されず
それぞれが内側に秘めた独自の雰囲気で自己主張する
waremokou2008901-1.jpg



(2008.9.1.記)


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