青春讃歌 14〜それぞれの選択



そして
個人演奏をした3人もそれぞれ写真が載っており
娘の写真のとなりには優勝発表の瞬間写真が配置された
娘にとって生涯忘れないであろうこれらの思い出が
こうした形に残されるのはとても嬉しいことだ
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2学期制の娘の高校では連休を境として一昨日から後期がスタートした
娘のクラスは
大学受験組の文系も理系も芸術系も専門学校組も就職組もごちゃまぜになっていて
早い人では夏休みには試験があり
すでに続々と進路先が決定しているようだ
娘自身も昨日願書を提出し
来月はじめに試験日を迎えることになっている

さて、先週末から出かけていた四国のホテルで
朝テレビをつけていると
このたびの政権交代によって起きている
さまざまな事業の予算凍結の問題をやっていたが
あれもムダこれもムダと、端から予算がカットされている実態に
一体本当の意味でムダって何なのか
そして、そのムダの基準は誰が定めるのだろうと
色々考えさせられた

この予算凍結によって、ある高速道路工事はストップし
また、某国立大学の老朽化した実験棟の補修工事もできなくなったと
関係者が悲痛な面持ちでインタビューに答えている
果たしてこれらの事業をムダと判断した人の選択は正しいのだろうか?

また、別のチャンネルにうつると
そこではある音楽家のドキュメンタリー番組をやっていた
音楽の教師から一念発起して歌手の道へ転進したこの人は難病を患っている
生きている間に自分ができることは何だろうと考えた末
今は病院を訪問して患者の前で歌う等の活動を行っているという

更に別のチャンネルではアニメをやっていた
内容はパティシエ(菓子職人)養成学校の物語
娘のクラスメートにもこの道を目指して専門学校へ進む子達がいる
すでにお菓子つくりの腕前はかなりのもので
娘もよくご馳走になっているらしい

これらの番組を見ながら、ふと思ったことがある
もし教育界で、子どもたちの学力向上に向けて徹底したムダ削減対策をとるとしたら
一番に削られるのは音楽などの芸術分野だろう
また、食の分野でムダを追及すれば
生命維持目的だけを考えた場合不必要な菓子類が削除対象になると思われる
そして、徹底してムダを省いた後に残るのは、味も素っ気も無い社会かなと・・・

娘が音大志望だというと
「音楽やって将来どうするのか?」と聞かれることがよくあるらしい
この不況の世の中で音大を出ても、学校の先生になる以外に安定した職はなさそうだ
そして、その先生に採用されるのも非常に狭き門となると
高い学費を払ってまで音大に行くのはムダだと多くの人は思っているだろう
だから娘はこういうのだ
「もし親に学費を全部出してもらうのだったらきっと音大には行かないと思う
でも、自分で払うんだったら遠慮なく好きな道が選べる」

すでに国の教育ローンも奨学金も予約しており
あとはアルバイトをしながら必要経費をまかなっていけば
自宅通学するかぎり自力で好きな道へ進むことができる予定になっている
幸い少子化の影響で私立音大の学費も今は私立理工系並みに下がったし
もし、音楽以外に希望していた保育士や図書館の司書といった別の道を選択したとしても
どこでも資格取得に学費はかかるわけだ
しかも、こういった職種もまた就職難であることに変わりはない

考えてみればこの不況の世の中でどの道を選んでも
昔のように終身雇用もなければ将来の約束も無く
30年前、わたしが娘の年だった時代の感覚は通用しない世の中になった
不況下で生き残るためにと、就職に有利か否かで進路が決められ
学生たちは早くから就職活動に四苦八苦しているが
せっかく苦労して就職しても
新卒社会人が3年以内にやめる割合は3割にものぼるらしい

以前息子は、通学途中の電車の向かい席に偶然座った二人のおじいさんから
色んな昔話を聞いたことがある
この人たちは終戦当時、海軍兵学校に在学しており
ぎりぎりのところで戦争に行かずにすんだそうだ
敗戦後の貧しく厳しい時代、人生の岐路に立たされた彼らだったが
不思議とみんな何でもできる気がして
何の約束もないのに、ただ夢と希望にあふれていたという

「今の若い人は夢と希望がなくて本当にかわいそうだ」
この言葉は、今の若者はやる気がないと言う意味ではなく
社会の風潮が若者に希望を失わせていることへの憤りとともに
何も持たなかった終戦当時の若者が希望にあふれ
たくさんのものをもっているはずの現在の若者が絶望している現実に
この風潮を正せないやるせなさがこめられているようだ

一般的に大人の説教は若者にとってうさんくさいものだが
大人が自分の夢を語る様子は若者にも興味深い
それは、その時だけは年齢を超えて青春を共感するからなのだろう
どんな大人にも平等に若い時代はあった
そして、その青春時代が幸いであったかどうかは
時代の風潮や各々の境遇云々よりも
若いエネルギーが何を見、どこへ向かっているかにかかっている部分が大きいのだと思う

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息子の部屋の窓辺で
アイスバーグがわずかに返り咲いている
来春にむけて
2階まで伸びている大きな枝を全部下ろし
剪定して再び誘引しなおす作業を
来月行う予定だ

この作業も年々大変になるので
そろそろ規模を縮小しようかとも考えたが
せっかくここまで大きくなったツルバラを
切り詰めてしまうのはやはりもったいない

8年前
夢と希望に満ちてはじめたバラ栽培
過酷な猛暑の中も
あるいは寒波の中も
台風の時も、大雨の中でも
作業するのはいつも楽しかった

ところが
ある程度バラの庭としての形が整ってきたことで
当初思い描いた夢が実現する一方
栽培実験については相変わらず失敗も多くて
ちょっと行き詰っているのが現状だ
もう失敗はしたくないので何か無難な方法に変えるかな・・と考えていたら
だんだんやる気がうせてきた
要するに、夢がなくなった段階で気力も失せてしまうわけで
夢と希望の持つ力の大きさを実感する

花なんていくら育てても食べられるわけではなし
そう言ってしまえば本当にそのとおりで
これもまたムダ削減の対象物だ
でも、このムダの先にあるものは計り知れない

これから30年後はどんな時代になっていて
現在のムダの価値基準はどう変化しているのだろう
もしその頃わたしが生きていたら
しっかり見定めたいものだと思う


(2009.10.15.記)



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