青春讃歌 16〜夢に向かう希望


「高校の時、”夢は、かなわないから夢なんだ”と言ってた先生が居たよ
その時は別に”ふ〜ん”って感じだったけど、今は本当にそうだと思うね」
そう語る息子は、大学に入ってから随分落ち着いた感じになった
中学生の頃は、最先端という言葉が好きで
漠然と上を目指すことに意欲的に見えたが
今は特に欲もなくマイペースでやっている

先日も、夜遅く帰ってきたので「実験が長引いたの?」と聞くと
「結果が出ないからあきらめて帰った」という
「上手くいかない時は続けてやってもダメだね」
「”実験はあきらめと妥協です”って先生からも教わったよ(笑)」

”こうすればこうなるのではないか?”と仮説を立てて取り組む実験は
人生における夢へのアプローチと似ている
頭(理屈)で考えている間は実に上手くいくのだが
現実にはほとんどそうはいかないもので
だからといって、やめてしまったらそこで終わりだから
とりあえず前へ進むために、”あきらめと妥協”が必要となる
こうして前へ進んでいれば
何かの偶然やヒラメキで新しい発見や発明が生れることも少なくない
そうなれば、途中の”あきらめと妥協”は
間違いではなかったことになるだろう

人の一生は
(大小問わず)たくさんの夢と、多くの失望の上に成り立っている
失望が絶望に移行すれば、再起する意欲も失い
失望から希望を見出せば、前より良くなる可能性もある

息子によれば
実験で仮に良い結果と悪い結果の両方が出た場合には
良い方を採用することを勧められるという
一見、そんないい加減なことでいいの?と思うが
先への希望をつなぐには正しい方法なのだと思う
つまり、どんな実験でも、その先に何が生れてくるかは未知数なのだから
その場その場で完璧な結果を求めるのではなく
”今はこれでよし”としながら
もっとずっと先にあるものを見据えて行く姿勢が重要だということなのだろう

一般的に科学者は神経質な人が多いというイメージがあるが
実は科学者のうちで最も自殺率が低いのが物理学者なのだそうだ
これは、ひとつの課題について完璧な結果をとことん追求しようとするのか
あるいは、もっとアバウトに、許容範囲を広くもって見ていこうとするのかによって
追い詰められる度合いが違ってくるからなのかもしれない

特に物理学は、宇宙のようにとてつもなく広大な
あるいは素粒子のようにどこまでも小さな世界の研究が多く
はじめから完璧などありようもない分野で
”かなわない夢”を追っている途中のワクワク感を味わうところに醍醐味があり
そこからオマケのように
ある日突然世界を変えるほどの発見が生れる可能性もある
そこに引き寄せられる人々は、純粋に面白いことが大好きで
競争社会には縁がない、というかあまり興味がないタイプが多いようだ
要するに周りから見れば変人だが
子どもがそのまま大人になったような生き生きしたものをもっている
だから、息子がこの世界に引き寄せられていったのは
娘が音楽に引き寄せられたのと同様に必然だったと思う

今の子どもたちは、よく夢がないといわれるけれど
本当はみんな夢は色々もっているはずだ
ただ、夢に向かう力=希望が、昔に比べてないのだろうと思う
物心ついたときから世の中は不況で、明るい未来はいつまでも見えてこないし
バブル期を知っている世代は夢よもう一度とばかりに希望を抱いても
不況が当たり前の世代には夢の再来など信じられはしない
30年前には、若い頃の失敗はやり直しがきくと励まされたが
今は一度の失敗で人生が台無しになるかのように教えられ
進学も就職も極力失敗のない(と思われている)無難な道を勧められる
ただし、無難な道が自分にとって楽しくなければ
あるいは、無難と思われた職種が時代と共に不安定に陥った時には
その目論見は失敗だったと気づいても
絶望感から立ち上がる方法までは誰も教えてくれないのだ
本当は、不況の時代でも夢を見ることはできる
そうでなければ
世界中に居る、日本の子どもたちよりもずっと不遇な立場にある子どもたちが
それでも夢を持って生きているのはどうしてだろうか

夢はかなえることよりも
夢に向かって進む原動力となる希望を抱くことの方が重要で
本当は、生きる希望を持ち続けるために夢があるのかもしれない
昔わたしが想像していた世界とは違う方向へと進んでいく子どもたちを見ながら
人には本来それぞれに見合った夢が天から贈られてくるのだろうなあと思う
それは親の夢でもなければ、世間の風潮が語る夢でもない
だから、傍から見れば無難という道ではなくても
その道を行く本人には周りが抱くような不安はなく、いたって元気なのだ

erizabeth20091114-1.jpg

昨夜の大雨にさらされても
なお美しいクイーン・エリザベス
この強さもまた魅力の一つだ

今週は
わたしも庭仕事を随分頑張って
一部ツルバラの剪定誘引作業も終えた

春のバラを夢見てする作業には
自ずと力が入る
実際に花が咲く時期よりも
この裸の枝と格闘している方が
わくわくするのは面白い

それにしても
好きなことをやっていると
不思議なくらい力が出るもんだなと感心する

一時は縮小も考えたツルバラだが
わたし自身のために
もう少し頑張ってこのまま管理していこうと思った


(2009.11.14.記)



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