青春讃歌 3〜恩師との出会い


娘の高校の合唱祭まであと10日になり
クラスの合唱練習も、娘自身の独唱練習も今週がいよいよ大詰めだ
わたしが手伝ってやれることといえばドレスの準備くらいで
それはすでに済んでいるし〜と思っていたら
久しぶりに着てみるとなんと肩のあたりがブカブカになっているじゃないの?!@@;
この2ヶ月あまりの間に、昔腕立て伏せてで鍛えた筋肉が落ちたのだろうか??
何だかよくわからないが、とりあえず急いで身幅を6センチほどつめる作業を行った

中学〜高校にかけては、特に女の子はその風貌がかなり変化する
娘に言わせれば、女子の中学時代は「華やかさを失う時期」らしく
確かにこの頃には体型もぽっちゃりして、一般的にダサい制服に身を包み
校則にしばられて髪型も雰囲気も個性を失い
小学校時代のようにノーテンキではいられない不安定さを心に抱えながら
大人への道の入り口で戸惑っている姿がある

それが高校生になると一気にはじけて
制服は一転しておしゃれになり、流行の髪形を追いかけ
かくれてお化粧したり、美容関連に熱心になる
それがみんな似あっているわけではないけれど^^;
とにかく納得のいくようにやるのが青春時代
親の世代だって、毎日熱心に鏡とにらめっこしていた人も少なくないはずだ

さて、先週はずっと
合唱祭本番へのわくわくする気持ちと共に、ふとわきおこる不安感からくる焦りで
精神的に煮詰まった状態になっていた娘だが
いつものように金曜日のレッスンに行くと、すっかり自信を取り戻して帰ってきた
どんなに落ち込んでいても、先生のところで歌えば必ず上手くいく
本人を安心させる伴奏と、いつもの「大丈夫よ〜」の励ましが大きな支え
この先生についてきて、今まで一度も本番で失敗したことはない
その経験と確信が娘を勇気付け、本調子で気持ちよく歌わせてくれるのだ
いやはや指導者への絶対の信頼とはすごいものだと改めて感心すると共に
そういう指導者との出会いがあったことに何より感謝せずにはいられない

思えば、子ども達も今日に至るまでたくさんの「先生」に出会ってきた
先生とは、一般的には親の次に子どもが頼りとする大人であり
良い意味でも悪い意味でも大人の見本となる存在だ
子どもの感性は敏感で、大人をよく観察しているから
ごまかしたり、いい加減なことをするとすぐに見抜かれてしまう
特に子どもが嫌うのは
言うこととやっていることが違うタイプの大人
理想ばかりが先行する先生は子どもを疲れさせ
表向き優しく良い人でも、偽善的な先生は不信感を抱かせる

一方で、非常に厳しいタイプの先生は意外と人気があったりする
(もちろん単に感情的になるだけの先生はダメだけど、、)
確固たる信念の元、捨て身で子ども達にぶつかってくる迫力が信頼を呼ぶのかもしれない
また、自分に正直で、堂々と本音や過去の失敗も話してくれたり
表と裏が存在する大人社会の不条理も教えてくれるような
そういう先生は男女問わずかっこいい
そして、かっこいい人にはついて行きたくなるのが人の常であり
ついて行くからには先生の期待に応えたくなるのが人情というもの
こうして、その信頼関係がやがて本当の教育につながっていくのだろう

大人と子どもの信頼関係を大きく左右するのは、正直であるかどうかだと思うが
大人は子どもの前だとつい良い格好をしようとするものだ
わたしは昔から機械ものが苦手で
その上面倒くさがりで説明書もロクに読まない傾向があり
そのため何か新しいものを扱うのはおっくうで
「これって書いてあるとおりにやっても使えないんだけど」と
まるで機械が悪いかのように言いながら息子のところへもって行くことがある
すると息子は言うのだ
「それはね、書いてあるとおりにやってないんだよ」
「・・・(どきっ!)え〜、やってるつもりだけど・・・」
「読んでないでしょ、説明書」
「・・・う〜ん、一応読んだけど・・・」
「あのね、読んでないからできないの。そういうの”おばさんの言い訳”って言うんだよ」
「・・・(ぐさっ!@@;)・・・だって読むのが面倒だし〜(ここでやっと本音が出る)」
いや、息子はすでにわたしの実態を散々知っているから
今更どうってことはないのだが
この”おばさんの言い訳”というセリフは妙に気に入った^^;
そう、考えてみれば、面倒なことはつい”言い訳付き”で丸投げをしてしまうことってよくある気がする、、、(汗

青春時代に出会うたくさんの先生は
やがて社会に出てから出会うさまざまな大人の雛形であり
良い先生も不都合な先生も、たいていほんの一時期の付き合いで過ぎ去っていく
嫌いな先生には反抗しても、それもまた許される貴重な時代だ
これが会社の上司ともなれば嫌でも従うか、自分が仕事をやめるかしかないだろう
学生時代に先生とケンカしても生活には影響ないけれど
上司とのケンカはそうはいかない

子どもにとって大人の見本になり、その心は見透かされ
信頼してなついてくれる子ども達も、時が来れば自動的に過ぎ去ってしまい
一方、嫌われればいつまでも恨まれもする
そんな学校の先生という職業に、息子は絶対なりたくはないと教職過程を放棄したが
娘は音楽の先生になりたいと思っている

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年間を通して色んな花が入れ替わり立ち代り咲く庭は、学校に似ている
大きな花も小さな花も存在してはじめてバランスの取れた庭ができるが
個性の違う花たちを一緒に育てながら
彼らをどこに配置すれば一番映えるか、誰と誰を隣同士にすればいいのか常に考える
お互いが助け合う植物もあれば、一緒に植えてはならない植物もあるから
まずはそういう知識も必要だ
庭つくりをしながら、「育てる」ことの難しさと責任と楽しみとを感じつつ
時の経過と共にただ過ぎ去っていく花たちから多くの事を教えられる日々だ



(2009.6.7.記)



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