青春讃歌 7〜パソコンとの出会い


このたび息子がわたしのために自作パソコンをプレゼントしてくれた
格安のアウトレット商品を使って極力低価格に抑えたというが
これがなかなか優れもので驚くほど速い!@@
わたしは基本的に機械オンチだから
PCもとりあえず使えたらいいか〜というタイプなのだけれど
画像処理をする時だけは、速度が欲しくなる
で、その希望を伝えたら、かなり能力の高いものを用意してくれたようだ
いや〜、実にありがたいありがたい^^
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昨夜は、わたしがこの新作PCでさっそく作業をしている間
息子は傍で、古いPCを分解し始めた
このPCは2001年製で、だいぶ前からCDドライブが故障していてディスクが回らないのだが
今度パーツを買ってきて修理してみようという気になったらしい
最近はすっかりPC製作にハマっている関係で
今度は修理もやってみたいと分解作業を始めたものの
途中で部品が外れないところがあり(何しろ古いものなので)、そこへ夫が参戦してきた
夫もちょうど同じ部屋でズボンの修理をしていたが
(注:ミシンだけはわたしがかけた←ココ強調^^;)
息子の作業を眺めていて、機械好きの血が騒いだのだろう
かくして父と息子の共同作業はしばらく続き
壊れた部品を取り外してもう一度元通りに組み上げてスイッチを入れると
無事に立ち上がり、一件落着と相成った
(実は組み上げたあとでネジが余っていたらしいが・・・^^;;)

わたしがはじめてパソコンを購入したのはちょうど10年前のこと
当時息子は小学6年生、娘は3年生だったが
親も自分が使うことが精一杯、なかなか教えるまではできなかったので
子どもたちはそれぞれ独学で使い方をマスターしていった
特に娘はまだローマ字を知らなかったため
とにかくパソコンが使いたい一心で一生懸命ローマ字を覚えたものだ
その後、学校教育にもパソコンが導入されるようになる頃には
彼らはすっかり使い方にも慣れていて、周りの友達に教えるようになっていた

こうして一般家庭にパソコンが急速に普及し始めたと同時に
インターネットのもたらす悪いうわさが広まり
子どもにパソコンを使わせることを躊躇する親もあったが
わたしは自分で実際に使ってみて、こんな便利なものを使わせないのはもったいない
また、これからは必ずパソコンが必須の時代になるだろうから
できるだけ積極的に使わせたいとの願いがあった
それでも、短期間にこれほど人々の生活の中にパソコンが普及するとは想像しなかったけれど
結果として子どもたちは、パソコンによって「遊び」と「学び」の場を手に入れ
今や学校でもプライベートでも、パソコンなしの生活は考えられない

今日は日曜日だが、娘はワープロ検定を受けるため学校へ出かけていった
今まで「検定」と名のつくものは何も受けたことがなくて
ひとつくらい履歴書に書ける資格があればいいかなということで受けに行ったが
今回は初めてなので2級を受験し
卒業までには1級も取得したいと願っている
レベルとしては、タイピングは非常に速くて
通常でも10分1000文字以上の入力をこなし、調子がよければ10分1300文字いけるので
10分700文字入力が課題の1級レベルにはすでに到達しているらしい
(ちなみに今日の検定では1100文字超えだった)
こればかりは例え親ばかと言われても、それでも速いのよ〜と、傍で見ていても驚くほどなのだ
しかも、同じ1000文字でも娘はローマ字入力だからキーを打つ回数は倍になり
その上、漢字変換まで入ってくるとさらに打数は増える
ただ、ワープロ検定は単なるキーボードの早打ち大会ではなく
地図入力などの課題もあるため
図形作成はまだ勉強不足の娘は今回は1級受験を見合わせることになった

一方、すでに大学で日常的に数式や図形やグラフなどパソコンで打ち込んでいる息子は
手書きをすることがもはや稀なことになっている
昔からどうしようもなく手書きがヘタな彼だから
小学校の時は『あゆみ』にいつも”字をきれいに書きましょう”と書かれていたけれど
それも今となっては遠い過去の思い出だ

さて、一昨日こんなニュースが載っていて、わたしは少なからず驚いた


『小学生〜高校生を対象とした放課後の生活時間調査 速報
   6割が「忙しい」「時間を無駄に使っている」を肯定』

   「時間をむだに使っていると感じる」を肯定するのは59.4%
    (小46.5%、中63.6%、高69.4%)。
    中学生になると時間の使い方に不満を感じる子が急増する。」



小学生が時間の無駄とか一体何を基準に判定しているのだろう?
わたしが小学生の頃には、そんなこと考えたこともなかった、、

昨今は
「わたしは何のために生れてきたのだろう」
「生きている意味がわからない」などと考える子どもが増えている
それは根底に自分の存在を無駄だと感じる、一種の被害妄想的な思いがある一方で
あなたは必要なんだよと言ってもらいたいとの願望があるからだが
そもそも、この世に生れて無駄な人などいないのに
”無駄の基準”をどう考えるかによっては、人は簡単にウツ状態になってしまう

先週、大学の『進学・就職ガイダンス』に参加した息子は
そこで色々な話を聞いた結果、ずっと決めかねていた自分の進路を「進学」に定め
「”人生の夏休み”をもうちょっと延長することにしたよ」と言った
なるほど、大学時代はちまたで”人生の夏休み”と表現するらしく
それぞれどう過ごすか非常に自由な時代だ
何が無駄で何が有意義なのかは、人生が進んでみないとわからない

娘が今後ワープロ検定で1級まで取得したとしても
この資格が就職につながることはないらしく
だからといって受験が無駄とは思わない
それが彼女の人生にとってどれほど役に立つのかは全くの謎だが
それでもキーボードの早打ちそのものは娘にとって実に気持ちのいいもので
やはり小学生の時からカタカタやってきたことは彼女にとって良かったと思う



(2009.7.12.記)



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