青春讃歌 10〜負け犬か神か



「自分は負け犬かもしれないと思う僕がいる
  いっぽうで、自分を全能の神だと信じる僕がいる」



これは、『ジョン・レノン120の言葉』と題された本に掲載された
ジョン・レノンが自分について語った言葉だ
同じ本の中で、自らを「ごく普通の人間」と表現する一方
その普通の人間の中に極端なふたつの心理が共存していることに
「普通」という言葉の奥深さを考えさせられる

別にレノンじゃなくても
普通の一般人もまた、心の奥底には同じような心理を持っていて
両極端な心理のどちらかが過剰になるとき
その人は「普通」ではいられなくなってしまう

「負け犬」という言葉は決して謙遜ではなく、自らをおとしめる「自虐」にあたるものだ
前回書いた「ダメダメ病」もこれに近いものがあり
まだ自分という人間がよくわからない若者ほど
ただ漠然と自分をダメだと思い込みがちだ
では、何がどこがどんな風にダメなのかといえばそれもよくわかっていないし
反対に、自分の持っている”良いもの”も知らないまま
不安だけが交錯している

先日、伴奏の先生のレッスンを受けた娘は
折りしも「自分の持っている良いものに気づくといいですよ」とアドバイスを受けた
練習を通じて、また本番を通じて自分を知っていく
この一連の行動がなければ、躊躇せず前へ進みださなければ、自分でも自分自身がわからない
何もせず座りこんでダメダメと言っている間に
自分を見つける機会はどんどん失われていくわけだ

また、「負け犬」の対極線上にある「全能の神」という心理は、一言で言えば「傲慢」だが
それは心底からの傲慢というよりも
あたかも自分の力で世の中を変えることができるような
何かとてつもない力を授かった特別な人間であるかのごとく思うことで
負け犬と思い込んでいる自分から目をそむける現実逃避の手段なのかもしれない

人にはみな「愛されたい」という願望がある
それが形を変えて、「認められたい」「誉められたい」との成功願望につながっていくのだと思うが
若いうちは特に、その場の空気を読めないまま自分をアピールしたり
がむしゃらに活躍しようとするケースもしばしばあって
それは傍で見ていると純粋だけどこっけいで、ちょっぴり痛々しかったりもする
「上昇志向」という言葉は実に前向きではあるものの
反面、行き過ぎて暴走されても周りが困惑するものだ
それを人は「青い」と表現し、まだ経験が足らず、思考も浅く、未熟であることを示す
こうした、根拠のない自信でばく進する状況を
「ダメダメ病」に対して「イケイケ病」とでも呼ぼうか

さて、「ダメダメ病」の治療方法が「お尻をたたく」なら
「イケイケ病」の治療方法は何だろう
これも以前息子に聞いてみたことがある
すると、また短い返事が返ってきた

「それはね、自分は無力だなぁ〜とわかったら治るよ」

この時、いつものように冗談ぽくでもなく
珍しくなにかしみじみと悟ったように語った息子の様子から察するに
彼自身もまた
自分を無力だと感じた経験が少なからずあるということだろう
それが、いつどこで何についてなのかまでは言わなかったが
何にしても、すでにこうして「無力な人間」を知っている時点で
息子の人生観も結構マトモに育っているであろうと思われ、ちょっと安心した

「自分は無力」と認める感覚は、一見「負け犬」と同じようなイメージがあるが
自分は何ができ、何ができないのかを知っていて
無力な自分なりにできることを頑張っていこうとするところが「負け犬」と大きく違う点だ
結局「負け犬」という感覚は、本人の心次第で
当時あれほど成功していたジョン・レノンでさえ自分を負け犬かもしれないと思ったところに
どんな恵まれた立場の人でも自らを負け犬にしてしまう可能性があることがわかる

人間誰も「負け犬」でもなければ、ましてや「全能の神」でもない
劣等感と、その裏返しである優越感と
二つの心理を行き来する時代を経て
やがて「無力な人間」つまり「普通の人間」としての自分を発見することで
人は人として生きる事が楽になる


「生きるということは厳しいものだ」
   「一番難しいのは、自分自身と向き合うこと」
   「人は自分がいかに無知であるか、またいかに苦しみに満ちた存在であるか
    認めてしまえばいい」(ジョン・レノン)


9年前、ある音楽雑誌のジョン・レノン特集に寄稿した際
わたしは上記の言葉を引用している
世間から”愛と平和の伝道師”との肩書きを背負わされ
ある時は負け犬に、またある時は神に
何もできない自分と、何でもできるはずだと信じる自分との間を行き来していた彼の苦悩は
最後にたどり着いたこの結論によって
「普通の人間」として平安な終息を迎えることとなった


「ビートルズは南アメリカに2億ドル寄付するべきだなんて考えは
どこから出てくるんだい?
    アメリカはそういった国に何十億という金を注いできたんだ
    でも意味がないよ
    その分の食料を食べてしまえばどうなる
    一日分しか持たない
    2億がなくなったらどうなる?堂々巡りだ。
永遠に注ぎこむことになるよ」(ジョン・レノン) 


1980年に発表された彼の最後のアルバム『ダブル・ファンタジー』は
妻ヨーコとの共作になっており
家族への深い愛と感謝が歌われていて
どんな平和運動や慈善活動をしてもたどり着けなかった本当の平和が
自分のすぐ傍にあったことを表現しつつ
彼自身の人生もこの年の12月で終わるのだった

青春時代は
落ち込むと自分には何もないと思いこみ
また反対に、自分には何でもできると勘違いする時でもある
決して何もないわけじゃない
だけど、何でもできるわけでもない
では、自分には何があって何ができるのか
何のために生きていくのだろう?
この答えを探す旅は続く

yugao2009806-1.jpg
夕方
5時以降にならないと咲かない夕顔

大きくて立派な花なのに
開花時間のほとんどを暗闇の中で過ごす

せめてまだ明るいうちに
帰宅途中の人々が見てくれればと
現在
ツルを道路方面に伸びるよう誘引中

夕顔の方は、別に
誰にも見てもらわなくても平気だが
わたしがそれではもったいないと思うから
ここに咲いているのよと
道行く人に教えたい

この花の良さを
みんなに知ってもらえたらと思う

息子は昨夜までに課題であった9つの実験レポートをやっと完成させ
今日はそれを提出し、もうひとつ残っていた試験も終わり、夏休みに入った
昨夜遅くレポートが完成した時には
「ちょっとコンビニに行ってくる。今から”ひとり打ち上げ”をやるわ」と出かけて行った
ここまで頑張った自分を自分でねぎらってやろうというわけだ
打ち上げといっても、まあお菓子を買ってきて食べる程度なわけだが(笑)

一気に集中して自分を追い込むこともあれば
あとで自分を労わることも忘れない
ちゃんと自分で自分のケアができるのも息子のいいところだと思う


(2009.8.6.記)



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