音楽語り 4〜行進曲 March


わたしが高校生の頃は、もう70年代も終盤で
60年代終わり頃から一気に盛り上がっていた英米ロック界も
様々な試みが一段落し、ミュージシャンも年をとり
それまでの、ひたすら進め進め!状態から
何かこう燃え尽きた感じになっていたが
そんな頃、「産業ロック」という言葉が聞かれるようになった

「産業ロック」は、後に「商業ロック」とも言われるようになったが
要するに、表面的に耳に優しく、売れ筋をねらった、お金儲け主義の音楽作りを揶揄した言い方だ
元々ロックには思想を音楽で表現する使命のようなものがあり
反戦運動や社会体制への反発、権力や拝金主義への抵抗、揺れる人間心理などを
歌詞や、独特の音楽表現にのせてアピールするものだった
更に、既存の音楽スタイルを越えた新しい音楽を作り出すべく
実験的取り組みを行い、進化を繰り返し
常に転がり続けることがロックンロール
それが根底にあるからこそ、彼らはアーティスト〜芸術家と呼ばれ
社会のどうしようもない矛盾やひずみの中に埋もれて生きる一般人の
代弁者として評価されてきたのだ
だから、彼らの音楽に対してお金を払う人は
そこで夢を買っているわけで
彼らにはどこまでも同じ精神を持ち続けて欲しいと切望している

しかし、ミュージシャンとて人の子
お金がなければ生きていけないし、音楽活動だってできない
お金のために音楽やってるんじゃないと思いたくても
それは所詮きれいごと
売れなくては前に進みようもないのだから
自分の信念を曲げて売れ筋をねらうこともありだ
また、初めからビジネスとわりきってやっている人や
その時、派手に楽しく生きてればいいというような刹那的な人も少なからずいる
それはそれで理解できるのだ
そう、理解はできるが、世間は簡単に許してはくれないのだろう
だから、今も「商業ロック」という言葉は生きていて
信念と現実の狭間で、相変わらずミュージシャンは戦っている

いや、そういう戦いはミュージシャンだけの問題ではなく
社会全般において、どんな職種でもあることだ
良い仕事をしたい、良い商品・良いサービスを提供したいという良心は
必ずしも利益に結びつくものではなく
目に見える利益を第一とすれば
目に見えない信用を失っていく
権力者に媚びればもっと良い立場になれるのかもしれないし
人をだましてでも自分がのし上がろうとする人もある
お金も欲しいし、人からちやほやもされたいしと
悩ましいのはその誘惑だ
でも、そのすれすれの一線を越えたくない
越えてはいけないのだと
常に光と影が交差する音楽界は発信してきた

1975年(昭和50年)、わたしが中学2年の時には
『”いちご白書”をもういちど』という荒井由実(現在は松任谷由実)の作った曲が
ラジオから毎日流れていた
「いちご白書」というベトナム戦争時代のアメリカ映画から
学生時代を懐かしく思い出す内容のこの歌は
これから現実社会に出て行く若者の複雑な心情が
こんな一節に表れている

 「就職が決まって 髪を切ってきた時
  もう若くないさと 君に言い訳したね」

今のように茶髪や長髪などタブーの時代
社会人になること=髪を切る
それはちょうど青春から足を洗うようなものだった

この歌詞について
ロック雑誌「ロッキングオン」には当時こんな論評があったことを覚えている

 「『いちご白書をもう一度』は間違っている
  髪は就職が決まる前に切るものだ」

ロック雑誌といっても、当時はまるで同好会雑誌のような
若手音楽評論家が好き勝手に音楽論を書いていたこの本が
今はすっかり出世して、町の図書館にまで置かれているのには驚いたが
上記の内容には、思わずそりゃあそうだよね〜と、うなずいたものだ
だが、その後続く内容はもっと興味深く心に残った

 「髪を切り、背広を着て生きるのは苦しい
  だが、GパンとTシャツで生きるのはもっと苦しい」

当時は、こういった音楽評論家の文章も随分読んだが
音楽論は、すなわち人生論でもあった
「GパンとTシャツで生きる」とは
その格好だけの話ではなく、心意気の問題まで含まれている

どんなに時代が移り変わっても
自分を見失わずに生きていけたらいい
ミュージシャンの生き方は
まっすぐだったり、つまづいたり、脱線したり、戻ってきたり
良くも悪くもその見本になっていた



(2009.2.4.記)


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