音楽語り 7〜歌曲 Canto


息子と2歳半違い(学年は3年違い)で生まれた娘は
息子と同じく、早い時期からしゃべり始め、歌うことも好きだった
何でも兄のマネをして、兄を追いかけるようにピアノも練習したが
娘自身は結局ピアノに夢中にはなれず
4年生で声楽を習うようになってから間もなくピアノのレッスンは中止した

息子に、教会での伴奏者を務めたいとの希望があったように
娘も幼い頃からそう願っていて
実際にある程度弾けるようにはなったものの、どうしても壁が越えられないのは
そこにピアノに対する熱意が欠けているのだと
4年生の時に判断したのは本人だった
それは、決して卑屈な意味ではなくて
本当に好きなことを見つけたからに他ならない
そのくらい娘にとって歌うことは気持ちよく、相性がよかったのだろう

ところで、なぜ4年生から声楽を習うようになったかというと
これはわたしの昔からの希望と共に
その頃ちょうど先生との出会いがあったからだ
前にも書いたように、わたしは大学生の時から教会での結婚式の独唱者を務めていた
若い頃は声もわりとよく出ていたし
当事者にとっては生涯一度の大切な式典に水をさすことがないように
精一杯頑張って歌ってきたが
30代半ばになった頃から、声量と技量の不足に不安を覚えるようになったため
声楽の基礎レッスンをほんの数ヶ月だが習いに行ったことがある
でも、その頃すでに声帯の筋肉は衰え始めていて
息づかいの方法を工夫することである程度歌いやすくはなったが
声量そのものは復活しなかった
そこで、当時娘はまだ保育園に通っている年齢だったが
その時の先生に、もし娘が声楽のレッスンを受けるとしたら何歳からが適期かとたずねると
「小学4年生くらいからがいいでしょう」と言われたため
その年齢になったらぜひ娘に基礎からきちんとレッスンを受けさせたいと思ったのだ

親が子どもに対して描く夢や希望には
それが子どもにとって向いていないものがしばしばある
例えば、わたしは息子がギターを弾いたらいいと思っていたが
バイオリンは好きなのに、同じ弦楽器でもギターは好きじゃないらしい
またピアノも、わたしはホンキートンク調のジャズピアノが好きなので
息子もそういうのを弾かないかなあと期待していたら
「ジャズピアノは趣味じゃない」とばっさり切り捨てられてしまった
そして今、自分の好きな曲を好きなように弾き
また、自ら希望した伴奏者の務めはちゃんと果すようになった
人間てそんなにあれこれできるわけではないから
わたしもこうして本人が自然に選んでいくのが一番いいと思っていたし
もし娘が声楽を習うことが本当の希望ではないなら
それはそれでいいと思っていた
だが、その機会は先生との出会いによって訪れ
しかもその時期がちょうど4年生になる前だったというわけだ
この偶然は本当に不思議に思えた
そして、娘はわたしが期待した以上にそこでしっかり歌の魅力にはまり
少しずつ、無理なく、また歌うことを楽しみながら成長していった

それからは、娘がだんだん上達するのに反比例して
わたしの声量はどんどん落ち
最近は本当に自分でも嫌になるほど声が出ない上
無理に出そうとすると声が震えるので困ったものだ
これはきちんと声帯を鍛えてこなかったせいもあるし
発声方法についても
娘が習っている「頭声(声を頭に響かせる発声)」だったら
こうして年を重ね、体格が衰えても
もっと声が通り、安定して歌えたのだろう
何にしても、もう後継者ができたからいいか・・とあきらめムードなのも
ますます歌えなくなる原因かもしれないが(苦笑)

というわけで、今のわたしは娘の歌をサポートする係りだ
そのためにドレスも作るし、精神的な面も心を配りながら
そういう活動を通してわたしも一緒に楽しんでいきたい

昔、はじめて音大生の無料コンサートに行った時
目の前で見た紫のドレスを着たチェロを弾くお姉さんに憧れた娘は
その頃はきっと手の届かない遠い世界だと思っていた夢に
少しずつ近づきつつある



(2009.2.8.記)


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