音楽語り 8〜終楽章 Coda


このたび娘が作った曲を元に
息子が伴奏を一部アレンジしながらMIDIを作成したので
「ぶどうの樹」トップページに貼ってみた
(MIDI作成ソフトはStudio ftn Score Editor(窓の杜)を使用)

曲名は『マンゴスチンの踊り』


ギターとハープの音を使ったパソコンによる自動演奏で
素朴な雰囲気に仕上がったが
疑問なのは、なんでマンゴスチンなの??ということだ
いや、娘によれば深い意味はなくて
"果物の女王"と呼ばれるマンゴスチンの名前が頭に浮かんだから
という単純なものらしい
でも、そんな娘自身も見たことがない貴重な果物が踊るというイメージを
当人は結構気に入っているようだ

音楽にはしばしばそういう”なんで?”という意外性があって
聴く側の興味と想像力を刺激する
そして、それらは”なんとなく”、つまり自然に浮かんだもので
作る側の心が表れているところから
曲には、その人なりの”カラー”や”におい”がある

娘によれば、この曲には歌詞があるのだそうだ
でも、それは今の段階ではイメージだけで
本当に歌詞をつけるなら英語にしたいとの願いがあることから
どうやら簡単には実現に至りそうもない

娘は常にイメージが先行し、ひらめきと勘で音楽にアプローチするタイプで
この辺が、音楽の中にも数式のような理論的な美を求める息子とは対照的だ
声楽の世界では、何しろ自分自身が楽器なのだから
ひときわ感性の問題が重視され、イメージトレーニングが重要となる
だから、とことん練習して自己を追い込んでいくようなことはなく
おおらかに、のんびりとやっていける点が娘には合っているようだ

一方の息子は
オーケストラを仕切る指揮者の視点で音楽を聴きながら
常に色んな楽器に注目し、自らも積極的に演奏しようとする
わたしにとっては最も苦手な楽器であった木琴も息子は幼い頃から得意だし
中学校の吹奏楽部時代にも、ほとんどの楽器は最初から音が出せたが
その中で唯一音が出なかったのがフルートだったらしい
そして、普段さほど楽器演奏には積極的でない娘が
夫のフルートを借りてすぐに音を出したのは面白かった
ちなみに娘は、息子が好きじゃないというギターを弾くのも好き
別に対抗しているわけでもなんでもなくて
なんだかことごとく違う二人なのだった

そう、考えてみると
うちの家族の音楽へのアプローチ方法はみんな全然違っている
でも、どこかでつながっていて
それは音楽だけではなく、他のことにも共通しているようだ
普段やってることはみんなバラバラなのに
いざ一緒に何かやる時には一致する
これはちょうど、オーケストラにおいて
普段は個人個人が自分の楽器をこだわりをもって練習していても
合同になると指揮者の下でハーモニーを奏でようとするのに似ている
違ったものを持つ者同士だからこそ、それぞれに必要な役割があり
時に応じて自己主張し、あるいは譲り、また助け合う
音楽によって調和の心地良さを知っていることが
人生の中にも調和の必要性を感じる機会になるのかもしれない

ある音楽大学のサイトに
チェコを代表するチェリストで
プラハ音楽院教授でもあるヴァルダン・コチー氏の
<音楽は神様からの贈り物>という言葉が紹介されている
共産主義政権下の強制収用所時代
その苦境の中で彼に生きる希望と勇気を与えたのは音楽だった

音楽は、時代を越え、国を越えて
人々に喜びと楽しみを、そして希望と勇気を与え
怒りを沈め、悲しみを昇華させる役割を担ってきた
音楽を求める気持ちは祈りにも似ている
人は目に見えるものに心奪われることが多いものだが
そんな中で、目に見えない音楽の中に何かを求める人々の思いは
昔も今も変らない

”幸せの青い鳥”が実は最も身近なところに居たように
本当の幸いを知るきっかけは
<神様からの贈り物>として、色んな形で近くにあるのだろう
その贈り物のひとつに出会えたことは幸いだったと思うし
それを子ども達に伝えることができて良かった
これから彼らがどのように音楽に向き合い
そこで何を見つけ、どのように次の世代に伝えていくのかを
共に楽しみながら、見守っていきたいと願っている



(2009.2.12.記)


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