早いもので一月もすでに半ばを過ぎ
娘の高校生活も本当に残り少なくなってきた
来週、最後の定期試験があり
テスト返しの後はもう自由登校になるので
お弁当作りも今週いっぱいでおしまいだ
ならば気合が入っても良さそうなものを
今朝はつい二度寝してしまい時間がぎりぎりになった
正直なところ最近はもうお弁当つくりが面倒になっている
この独特の無気力な感覚は以前にもあったような・・・?
と思い返せば3年前
ちょうど息子の高校生活が終る頃も同じような感じだった
この状態はわたしのみならず
娘自身も、卒業は寂しいと思いつつも
学校へ行くのが時々面倒になっているらしい
最後の一日一日を大切にすればいいのは十分わかっている
でも、この面倒くさいと思ってしまう感覚もどうしようもない
また、3月半ばでアルバイトをやめる息子も
これまでどんなに忙しい時でも
「バイトに行きたくない」とはほとんど言わなかったのに
最近は出かけるのがひどく面倒になっているらしい
もう終わりだからと思えばこそ一生懸命になりそうなものが
親子そろって「面倒くさい病」になっているのはなぜなのだろうと思っていると
母が面白いことを言った
「年をとると、今までやってきたことがひどく面倒になることが多い
もう人生が終わりだと思うほどやる気もなくなるのかもしれないね」
確かに人間は、目の前の義務や目標の終りが見えてくると
それに向かっていた気力がどんどんなくなっていくのだろう
ただ、若い間はすぐ次の目標があるから
この「面倒くさい病」も一時的なもので
娘にしても、高校生活に未練は残しつつも
その目はすでに大学へと向いている
年が明けてからは部屋を整理し
新生活への備えをはじめているし
それまで無頓着だった自分自身の美容にも関心をいだくようになり
服やお化粧のこともあれこれ気にしたり楽しんだりするようになった
娘は本当に小心者で
昔から人の多いところが苦手、電車に乗るのもおっくうになる性格だが
春からは繁華街のすぐ近くにある大学へ通う自分に向けてこう語る
「これからは少し自分に自信をもって生きていきたい」
思えば小学校の5年生あたりからスカートもはかなくなり
出かける時は人目を避けるように野球帽を目深にかぶって男の子のようだったけれど
今はもうあの頃のような卑屈な自分からは卒業しようとしている
中学から高校へと進む際、環境の変化と共に自分自身も変わろうとし
実際にこの3年間で随分変わったように
これからまた環境が変われば、更に今よりも違った自分になっていくだろう
学生時代のひとつひとつの区切りを旅に例えるなら
ひとつの旅が終焉をむかえ、新たな旅の準備がもう始まっている
次はどんな旅になるのだろう
今はそればかり考えているようだ
一方、息子の方もその心はすでに4年生へと飛んでいて
その目は更に先の大学院〜就職を見据えている
おおまかな進路は決まっていても、選択肢もいろいろあり悩むところだが
最先端技術研究への夢と希望、そして現実と不安とを日々探るほどに
エネルギーは先のことにばかり注がれて
終っていくことに対しては
どうしても「もう終わりだから」と、いい加減に過ごしがちだ
でも、終わっていくことを割り切る気持ちも必要なこと
そして、こうして次の旅があるからこそ新しいやる気も出てくる
子どもたちの淡々と前を向いて進む様子を見ながら
昔のわたしもそうだったなあと思い出す
で、今のわたしはといえば
これで娘が高校を卒業しても
わたし自身の仕事も夢も目標もまだまだあるので
とりあえず暖かくなりさえすれば
今のやる気なしモードもスイッチが切り替わるだろうと思っているが
そういう先のことが何もなかったら
今の年令で無気力のままになっていっても不思議ではないなと思うし
無気力な自分をどうすることもできない恐ろしさも感じている
どんな小さな夢でも希望でも持ち続けなければ
人間いつでもダメになる
そんなことをしみじみ思う今日この頃だ
今年一年という旅はまだ始まったばかり
今日は寒さも緩んで少し暖かくなるというから
そろそろわたしも春に向けた作業を開始しようか。。
(2010.1.19.記)
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