青春賛歌第二幕 16〜本気で向き合うもの


息子が大学院に進学してから早3ヶ月が過ぎようとしている
大学卒業〜院入学の過程は
傍目に見ると普通に学年がひとつ上がるくらいの感覚しかなく
生活そのものはほとんど変わっていないように思えるが
実際には、まだ研究室の新入りだった昨年と比べて
経験を積み、できるようになったことが増えた分、忙しさは倍増
授業の合間を縫っての実験と、週3回のアルバイトの両立にも
かなり無理を感じるようになっていた
この状況では、一週間のうちに一日も休みの日がなく
かといってアルバイトを減らせば諸々の資金が足らない
昨年の今頃には、“疲労による免疫力の低下”で急に高熱を出したこともあり
本人もその時の辛さを覚えていて、気をつけないと、とは思っているが
そうこうするうち、今年中に論文をひとつ仕上げることになったため
結局今月でアルバイトをやめた
資金が足らないところは奨学金を増額して対応しつつ
今までバイトに当てていた時間を実験に費やしていかないと
期日までにあまり余裕がない
こうして、本気で研究に打ち込む方向へと、徐々にシフトしていく

3月の卒業式後には、教授から
「何をやっても良いが、悔いのない人生を送るように」との言葉があったというが
興味のあることには没頭するタイプの息子に
「悔い」という文字は、あまり縁がなさそうにも思える
ただ、お金と体力のない彼には、やれることは自ずと限られてくるので
与えられたチャンスの中で精一杯頑張り、同時に楽しんで
若い時期を有意義に過ごせたら幸いだと思う

一方、わたし自身の楽しみとして始めた庭造りとバラ栽培も10年になるが
毎年5月になると試行錯誤の結果が目に見える形で現れてくる
遠くから近くから庭を見に訪れる人々からは
「バラをこれだけ咲かせるには消毒や肥料やりなどのお世話が大変でしょう?」
と、たいてい同じ言葉がかけられるので
今年は意気揚々と
「消毒はしないんですよ。肥料を全く入れないので虫も病気もとても少ないんです」
と返答するものの
そこに興味を示す人は少ない

多くの人は、「花」だけを見る
経過よりも結果が見られる
だけど、本当に重要なのは、そして一番面白いのは
目には見えないけれど、庭と本気で向き合っている瞬間だと思う

本気で向き合っている時には
不思議と「人」が見えていない
つまりは、人がどう思うとか、他人の目を気にするスキがないのだ
見えているのは、なかなか越えられない壁(目標)と
それをいつか越える夢・・・

誰のためでもない
自分のために
やりたいことに本気で向き合うこと
大切なのはそこに魂があることで
人の評価はあくまでも副産物で主目的ではない
もしそこに良い副産物が生まれるとすれば
それは天からの恵みだ

この春は、ある意味今までで一番バラに没頭し
記録を残すことにも時間を費やしたので
青春賛歌シリーズの更新は休止状態になった
その間にも、娘は初めて大学サークルのミュージカル『美女と野獣』に参加し
歌のみならずダンスの集中特訓を経験したり
中断していたB先生のレッスンも再開、内容も次々ステップアップするなど
4年間の音大生活で最も音楽に集中できると言われる2年次を
休む間もなくひたすら走っている

一年前には、自分の練習を人に聞かれるのがいやだったり
練習嫌いの人の話に同調して安心したり
何かとそこには「人」という壁があって
歌に本気で向き合うにはまだ遠い状態だったが
今は自分でも「ずいぶん愛想が悪くなったかも?!」と言うほど
「人」を気にするよりも
とにかくもっと歌が上手くなりたいと、熱心に練習するのが常となった
何より今、本当に心から歌いたいと願っているのが
側で見ていてもわかるほどだ
何が娘をそうさせているのか具体的にはわからないけれど
とりあえず娘は本当に歌が音楽が好きなんだなと思う

音楽には人を感動させ勇気付ける力があるとして
このたびの震災後もたくさんのチャリティコンサートが行われてきた
音楽からこうして多額の義援金が生み出されるのはとても素晴らしいことだと思う一方で
気になるのは、もしこの先、音楽をやることの意義が
「人を喜ばせること」に重点が置かれるようになっていけば
単純に自分が「好き」でやっていくことに
特に若い人々は居心地の悪さを感じるのではないかということだ

芸術の本質は、まず自分自身の感動にある
心から好きで楽しいと思う自分の感動から生み出された副産物が人の感動だ
もし、まず第一に人を意識し、人の感動のために動くならば
それは売れるための努力にも似て
結果的には自分の感動が薄れ、やがて熱意も失われてしまうかもしれない

「人を喜ばせること」は「人の役に立つこと」として
自分の存在価値をそこに見出し、安心感を得ることもできるが
ただ「好きでやっている」のでは、「遊び」みたいな感じがして
本当はとても努力し、多大な労力を費やしていても
そこには中途半端な後ろめたい感情がついてまわることもある

でも、この先、息子の研究にしても、娘の歌にしても
やっていることが世の中への貢献とは程遠くても
わたしは彼らに
それが「好き」という気持ちを大切にして励んで欲しいと思っている
「好き」が第一である限り
彼らはそれに無理なく没頭し、純粋に楽しみ、努力を惜しまず
夢を描き、希望を抱き、わずかなりとも何かを生み出し
なおかつ自分自身が卑屈にも傲慢になることもないだろう
そして、もしそこに良い副産物が生まれるとすれば
それは天からの恵みだ

若い時代は長くはない
わたし自身、すでに更年期に入り
10年前には楽々できていた庭作業も、だんだん進まなくなっている
今も気持ちは同じようにある
夢も構想もある
ただ体力がついていかない、、、
だからこそ、今できることを今やっておかなければと思うのだ

来週、教会では結婚式があり
奏楽者を息子が、独唱者を娘が務めることになっている
それぞれすでに式典は何度か経験しているが
実は今回が初の兄妹共演だ
かつてはわたしが務めた役目を二人が継いで行くことは
子どもたちがまだ幼い頃からのわたしの夢だった

それでも、もし本人達が「好き」でなければ
この役目を与えることはなかっただろう
決して教会の子どもだからという義務感からでなく
単純に「好き」で、精一杯務めてほしいと願っている



(2011.6.26.記)



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