青春賛歌第二幕 39〜無知の知


このたび、息子は無事に大学院修士課程(=博士課程前期)を修了し
長かった学生生活にピリオドを打った

大学院は、2年間の修士課程と3年間の博士課程があるが
大学院卒の学歴を持つ人のほとんどは修士課程で終わっている
研究の基礎を学ぶ修士課程で卒業することに何の意味があるのかについて
息子から聞いたある教授の話が面白かった

修士課程を学ぶ間に、学生は自分の能力を知り、何も知らないことを思い知らされ
研究者として使いものになるのかどうか、そこで一度ゼロになって考えることになる
みんなある程度の夢やプライドを持って大学院に入ってくるが
それを一度リセットしてしまおうという期間
それが修士課程だというのだ

その言葉通り
すっかりリセットされた息子は
卒業式の前夜、冗談っぽく自嘲気味につぶやいた
「中身が伴わないのに立派なモノ(学位記)をいただいてしまうことになって・・」
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今まで何度か書いてきたように
幼い時から非常に好奇心旺盛で
何でも自分でやってみたくて
「いたずら」と思える「実験」を繰り返してきた息子は
自分なりに夢を描き
無謀な挑戦をして
夢破れたことも何度もあった

そんな経験をしているからこそ
自分の理想通りに物事は進まないことも
人のがんばりに(がんばる以前の意欲にも)限界があることも
人一倍知っている

がんばった末の納得いかない結果をどう受け止めていくのかは
青春時代の大きな課題のひとつなのだと思うが
幼い時からたくさん失敗して
その現実をちゃんと自分で受け止めていると
失望する出来事があっても
あまり落胆することもなく切り替えていけるのかもしれないと
息子を見ていてわたしは思う

実際に彼は
「人は失敗するもの・間違えるもの」だと思っている
だから、一生懸命何かに打ち込んでも
理想通りの結果が得られないのは承知の上というわけだろう
それでも、興味があることを見つけては
また熱心に取り組み始める
それによって何か評価を得ようというよりも
ただやりたいからやっているということにすぎないが
彼の学生時代はずっとその繰り返しで
いつも生き生きとして楽しそうだった

このように
興味のあることは実に熱心に探求する息子だから
大学に入った時は、このまま研究者の道を目指すのかもしれないと
わたしは漠然と考えていたし
本人も多分その気があったように思う
しかし、6年間、”真理を探究する”理学の世界に身を置き
後半の2年間で最先端研究の端っこをかじってみて
自分は研究者に向いていないと知るに至ったらしい
「人は間違えるもの」と悟っている息子は
「自分の考え(説)は絶対正しい」と信じて議論する気にはなれないし
何よりそこまでの素養を備えているとも思えなかったからだ

学生時代の最後に
自分は何も知らないのだと知らされた彼は
このたび会社に提出する新入社員のあいさつ文の中に
お気に入りの『無知の知』という言葉を入れた

無知の知とは
「真の知に至る出発点は無知を自覚することにある」とするソクラテスの考え方
                   (大辞林 第三版の解説より)

自分は何でも知っていると思えば
もっと知ろうとする意欲はなくなってしまう
しかし、自分が無知であると知っていれば
真理を知ろうとする思考は停止しない
そういう意味で
自分は何も知らないのだと思っている人ほど
成長する可能性があるということだ

そういうわけで
息子の目下の楽しみは
初めての職場で仕事を覚えることらしい
ゼロからの出発は
彼の子ども時代から変わらない好奇心を大いに刺激している

こうしてわたしは
好奇心旺盛で負けず嫌いの少年が
「希望」と「等身大の自信」を持った大人へと成長する過程を見てきた

これから社会人になる息子に
具体的にどんな将来が待っているのか今はまだ何もわからないけれど
きっと面白いものとなる(面白く過ごす)だろうことだけは確信できる
今まで例え夢はかなわなくても
その先で行き詰ってダメになったことはなく
どこに置かれても、結果的には幸いを多く体験した彼は
どんな結果の先にも
人の思いを超えた「神の領域」があることを知っているからだ

わたし自身、むかし経験した数々の「悪い出来事」は
かえって今のわたしの幸せにつながっている事があり
そこまでは至らないことでも
少なくともその「悪い出来事」に今わたしは支配されていない

時の流れと共に
良い事も悪い事も、その先の姿は変化して行く
だから慢心しても絶望してもいけないのだと
わたしは子どもたちにこれをずっと伝えたいと願ってきたが
同じ親から生まれた子どもたちでも
それぞれに起こることは異なっており
彼らは全く別の経験を通して「神の領域」を知っていくことになった

今、畑ではブロッコリーの収穫を終え
残った枝葉を土にすきこんでいく作業を行ったところだ
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同じブロッコリーでも
良くできた株もあれば、出来の良くないものもあったけれど
そうした「過去」はすべて一緒に土にもどし
夏野菜栽培という新たな「未来」に備えるべく準備が始まっている
良い過去も悪い過去も
上手く土にもどせば益になるが
やり方がまずいと、土ごと腐ってしまうこともある
土は一度腐るとなかなか元に戻らない
人の心もこれに似ているように思う

わたし自身はこの10年間
土と向き合いながら「神の領域」を知ることになった
人間の思い通りに自然は動かないし
頭で考える理想と、実際に起こることは違っている
わたしは結局何も知らなかったのだと知った時から
不思議なことに、だんだん植物は上手く育つようになってきた
面白い、実に面白い
だから、その先にあるものをもっと知りたいと思うし
そう考えるとわくわくしてくる

3年間続いたこの『青春賛歌第二幕』は
息子の大学院卒業をもって終了し
4月からこのシリーズの最終章『第三幕』を始める予定にしている
期間は娘の卒業までとし
予定通り大学院へ進学すれば3年間となるだろう
そして、最終回のタイトルは今からもう決まっている

「わが青春に悔いなし」

本当は、今回のタイトルにしたかったのだが
息子と娘の両方の思いとして最後までとっておこうと思う


(2013.3.25.記)



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