青春賛歌第三幕 41〜この道で生きていく


6月から『大学付属の室内合唱団』
研究生として所属するようになった娘は
8月に初めて”CDのレコーディング”というものを経験した

録音したのは、今年2月に発売された
『高田三郎:混声合唱のための典礼聖歌 主の祈り』の第二弾
全20曲を3日間かけて収録したが
女声ソロ曲を1曲娘が担当させてもらったのは貴重な経験になった

一方、そのレコーディング初日(20日)に大雨による災害が起きたため
24日に予定されていた動物園での野外コンサートは中止になるだろうと思われた
というのも、動物園は被災地のひとつである安佐北区にあるからだ
だが、予想に反して、今回の災害によるイベント自粛の動きは特になく
わたしも久しぶりに娘たちの演奏を見に行くことになった

通常は夕方で閉園する動物園を
夏の一ヶ月間だけ夜間も開園する「ナイトサファリ」
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そこでは毎週日曜日に「夕暮れコンサート」が開かれる
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今回は女性三声バージョンの『フロッシュ』として参加した
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演奏曲目は子ども向けにと頼まれていたので
いつものジブリ作品や動物の歌を中心に選曲している

今回の演奏動画はこちらをクリック


この日も時折どしゃ降りの雨が降る中
大勢の親子連れが動物園を訪れていたが
野外ステージには屋根があるため
雨を気にする必要がなくてよかった
ただ、いつも慣れている植物園の場合と違って
周りの動物が驚かないように楽器の音が制限されたりと
はじめての場所では色々戸惑うこともあり
これも彼らにとって良い経験になったようだ

良い経験と言えば
8月はデイサービス施設などでのボランティア演奏にも何度か出かけた他
思いがけず、ホッケーの国際親善試合の国家斉唱も務めることになった

日本ホッケー協会のHP

この日は、女子ホッケー日本代表チーム≪さくらジャパン≫と
オーストラリアのチームの試合なので
試合開始前にはまずオーストラリアの国歌を歌い、続いて『君が代』を歌うのだが
娘にとってオーストラリア国歌は音域が自分にあっていて歌いやすかったらしい
その間、選手たちも一緒に歌ってとてもムードも良かった
一方『君が代』の方は、これが歌い手にとってはなかなか難関の曲
”千代に八千代に”や”さざれ石の”といった歌詞を途中で切らずに歌うために
当日は出かける前まで何度も練習していたけれど
本番では高音のところでマイクが音割れしたことを後で残念がっていた
その後は、特別席で試合を観戦し
ホテルに移動して
「日豪女子国際親善交流パーティー 兼 壮行会」でも君が代を歌って任務終了
この日の演奏について本人は厳しい採点をしていたが
主催者側には喜ばれたようで
初めての国歌斉唱はとりあえず無事に終わった

ただ、せっかくの初舞台を見ることができなかったのがわたしとしては残念で
(この日の試合は非公開だったため)
どこかに写真がないかなあ〜と探していたら・・・あった!!

↓こちらのブログに当日の様子が載っている
「トヨタホームこころ展示場」

ブログ記事からの写真
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上の写真をアップしてみたら、左下にマイクを持った娘がうつっていた
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そんなこんなで8月も終わり
今後も娘の演奏機会は色々あるけれど
一般公開されている場所以外での演奏依頼も増えており
また、コンサートでも料金が発生する所では撮影禁止なので
自由にビデオが撮れるチャンスは随分限られてきたなあと思う
その分、出演する舞台も大きくなってきたということで
それはそれで喜ばしいことなのだけれど
ずっと娘の舞台の追っかけをやってきた身としては少し寂しい気もしている

この『青春賛歌シリーズ』を始めてから5年半がたち
高校3年の合唱祭を撮るためにビデオを買ったことを今は懐かしく思い出す
あの頃は、音大に入って本格的に音楽を勉強することが大きな夢だった
「音大に行って、将来どうするの?」
世間一般多くの人が持つ疑問を
自分自身に向けて問いかけながら
それでも行こう!と決意したあの頃、、
今思えば、本当に何の保証もないのによく踏み出したよねと
時々娘と話すことがある

そして今は
音大をすでに卒業し、更に勉強を続けるために大学院に行っているが
演奏活動等で色んな人に会うたびに同じようことを尋ねられるらしい

「音楽で生きて(食べて)いけるの?」

音大に入った頃は
卒業したら、音楽の臨時教員になるか(正規採用はほとんど枠がないので)
高校時代から続けているパン屋のアルバイトをしながら
たまに演奏活動ができればいいかなと思っていた
それは、現実に音楽の世界にどんな仕事があるのか知らなかったからだが
大学4年になってパン屋をやめ
勉強と演奏活動といった音楽だけの生活にシフトするうちに
コンクール実績もあって、合唱指導者としての仕事を任されるようになってきた
今はその数も少しずつ増えていき
一方ではホテルウエディングの聖歌隊も務める等
音楽関係の人とのつながりが広がるにつれて様々な仕事を紹介されて
だんだん音楽で生きていく上での足元固めが進んでいる感じだ

そして、来春には「ひろしまシティオペラ」の『椿姫』
アンニーナ役として出演することが決まり
いつか”名前のついた役”につきたい!と思っていた夢が
ここでひとつかなうことになったのが嬉しい
それは11年前の名もセリフもない猫の役をやっていた小6の頃以来の夢であり
当時同じ舞台に立った大ベテランの方が今回の『椿姫』にも出演されるので
練習が始まったら名乗り出ようと思っている
「あの時の小さな黒猫がここまできました」と、、

先日のレッスンの際には、先生から
学生の間はこのまま勉強を中心にしながら活動するとして
卒業後についてどうするかというような話が出た
以前も別の先生から卒業後の身の振り方についてたずねられた時は
音楽に関係ない仕事をすることも視野に入れている答えたら
これからはもう音楽の仕事だけでやっていくようにと
つまりは覚悟を決めるようにと提言されたばかりだ
こうして色んな先生方からの励ましもあり、実際に仕事ももらっている
だから、さすがに今はもう「この道で生きていく」と決めているが
熱心なクリスチャンである先生の言葉が心に響いた

「すべては”神そなえ給わん”ですよ」

種をまいてから、なかなか大きくならなかったアジアンハイビスカスも
株が充実し、花数が増えてきた
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娘にとってこの道が自分に与えられた道であると確信できるまでには
ある程度の時間も要したが
振り返れば、回り道することもなくまっすぐここまで導かれてきたような気がする
世間がどんな声を発信しようが、それに惑わされなかったのは良かった

多くの若者が自分の道に悩む時代は
わたしの場合、何か中途半端な状態で過ぎて行っただけに
こうして娘が音楽と共に生きていく道に進む過程を
自分のことのように心配し、同時に楽しみつつ見守りながら
止まっていた自分の青春時代をやり直しているような気がしていた
青春時代は
誰もが与えられているタラント(才能や使命)を見出す時代なのだと考えると
人と比べて競争する世の中の価値観で生きたわたしの若い時代には
”自分には何が与えられているのか”が見つけられなかったのだ
それを遅ればせながら、わたしも子どもたちの成長と共に見直しながら
今は自分のことがだいぶわかってきている
こうして親でありながら子どもの青春を通して教えられる年月を過ごしてきたが
これから先はもう
わたしの目の届かないところでの舞台(活躍の場)も多くなっていくだろう
それはわたしの中での青春が終わる区切りなのだと思う

『青春賛歌シリーズ』は
第二幕の終わりに、第三幕は大学院卒業時まで続けると書いたけれど
この道で生きていくことにすでに何の迷いも持っていない娘の今後を
青春時代として表現するのはもう違う気がするので
今回をもってこのシリーズを終了することにした
娘のこれからについては
新たに『音楽と共に生きる(仮題)』という題で書いていこうと思う

なお、第二幕終了時に決めていた第三幕最後のタイトルを
それぞれ充実した青春時代を過ごした息子と娘ばかりでなく
中途半端な状態からやっと卒業したわたしの思いとしても記しておこう

「わが青春に悔いなし」


 〜青春賛歌シリーズ(完)〜



(2014.9.3.記)



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