音楽と共に生きる 10〜それぞれの役割


昨日、娘は友人の結婚式のために朝から出かけて
式と披露宴で歌を歌い、かつ踊り
二次会では幹事をつとめた
また、結婚式と披露宴の最中にはカメラマンになって
二次会用のムービーも作る・・・というので
前日には夫から一眼レフカメラの使い方を習っていたが
さすがパソコンやスマホを使いなれている世代は
機材がカメラに変わっても、設定などの飲み込みが早い
夫もわたしに教えるよりずっと教えがいがあるだろう^^;
それにしても今時の二次会というのはミニ披露宴のようなもので
ケーキカットまであるというから驚きだ
そして結婚式や披露宴の写真を
二次会までの間にパソコンに取り込んでムービー作成するという娘にも
何だかだんだんマルチプレーヤーというか
「なんでも屋」になってきたものだと感心する
それと同時に、ちゃんと間に合うのかと心配にもなるが
「やるしかない」と言いながら出かけて行った

娘の今後について、前回「自分では決めない」と書いたように
娘自身、例えばオペラはやるけれどオペラ歌手になりたいわけではない
歌手にはなりたいが、一つの分野だけではなく
ミュージカルも歌曲も唱歌もアニメソングも、昔の歌も今の歌も
日本の歌も世界の歌も、色んな歌を歌いながら
合唱もやり、指導にもたずさわり
子どもからお年寄りまで幅広く対応できる歌い手として成長するために
今は勉強を続けているわけだ

そんな中で、よく周りから言われるのが「海外へ行かないのか」ということ
音楽の世界には昔から海外留学はつきものだから
ある程度のレベルの人々はお金の都合がつけば(←ココ重要)たいてい海外へ行く
しかし、海外へ行ったからといって、帰ってから何か約束されたものがあるわけでなし
せいぜい「箔がつく」程度のことで
その人が人々から愛される音楽家として受け入れられるかどうかは別問題なのだ

遠い昔、西洋から色んな学問が入ってきた頃には
日本にいたのではそれらの勉強はできないので
志のある人々は海外へ行って勉強をして、それを日本に持ち帰った
やがて長い年月と共に日本国内での勉強の環境も整い、指導者も増えたおかげで
今は多くの分野で、日本に居ながら多くの事が学べる時代になった
音楽の世界でも、世界的に有名な音楽家が日本に来てはセミナーを行っている
受講料は高額とは言え
海外まで行くことを思えばずっとお手軽に本場の勉強ができるのだ
娘も昨年秋には、大阪で行われたある声楽家の公開レッスンの聴講に行った
何でも前日の公開レッスンでは
「あなたの歌は嫌い」と言われて5分で退場になるレッスン生もいたと聞き
数万円が5分でフイになるのかと驚いた
(でもこれが海外まで行って「帰れ」と言われたらとんでもないよね、、@@;)

結局いくら本人が音楽に対して情熱を持っていても
「あなたの歌が聞きたい」と言ってくれる人がなければ(需要がなければ)
「箔」だけで何とかなるような世界じゃないらしい
そして
「あなたの歌が聞きたい」と言ってくれる人がいる場所で歌うことこそ
その人の使命なんだろうとも思う

今年の秋には、地元の自治体主催イベントで
娘のステージが企画されているらしく
実現すれば、2年前に地元の文化祭に「ソティエ」で参加して以来
これが本格的な地元デビューの場となりそうだ
”山口さんちのみぃちゃん”が地元のステージでオペラを歌う
その歌はどのように受け止められるのだろうか?!

わたし自身は音楽は好きだけど
娘が声楽を始めるまでは歌にはあまり興味がなくオペラも知らなかった
ましてや広島でオペラをやっている事も知らず、もちろん見に行ったこともない
そんな何か遠くにあるようなオペラの世界を身近な人々に紹介することができたら
普段から「みんなに音楽の楽しさを伝えたい」と願う娘にとっても嬉しいだろう
音楽は決して日本の隅々にまで行きわたっているわけではなく
田舎町で気軽にオペラ鑑賞するような機会はほとんどない事を思うと
音楽の楽しさを伝える役目の人は、その目を都会や海外ばかりでなく
身近な自分の”隣人”に向けることも重要なのではないかと思う

グローバルな人材育成を掲げる風潮の中で
今の若者が海外留学に消極的であるとの批判があるが
彼らが海外へ行かないのは
別に挑戦する意欲がなくなったわけではなく
単にお金がない事と共に
海外へ行く必要性を感じないということもあるのではないだろうか
行く人、行かない人、どちらが正しいというのではなくて
ちょうど今
田舎へ住みたい人が増えている「ふるさと回帰」の風潮があるように
息子も含めて同級生はかなり地元に帰って就職しており
この自然な流れを、わたしは好意的に受け止めている
それは、この町で教会を60年も続けているからこそ
人材はあらゆる場所に存在するべきだと思うからだ

わたしたちが教団に所属していた時代には
海外へ伝道活動に出かける人々が注目され
日本の田舎で地道に活動している人には光が当たらなかった
だから、わたしの中には、海外へ行く人と、国内で地味にがんばる人と
同じ活動をしても扱いが違うことへの不条理な思いは今もある

これから娘がどこでどういう活動をするのかは何もわからないけれど
いずれにしても彼女が遠い世界のことよりも
自分を大切にしてくれる身近な人々を大事に考えていることを
わたしは嬉しく思っている
もし海外へ行く必要があるならば、そのように道は開けるだろうが
今は自分の置かれているところに大切な役割があるものとして
真摯に向き合っていってほしい

娘が聖歌隊の一員として働くホテルの結婚式では
牧師が必ず「新郎新婦の今日の幸せは身近な人々の犠牲の上にあるもの」として
これからの生活に最も必要な「助け合い」や「許し」についての説教をするのだという
その意味が分かる人は涙するが
残念ながら分からない人もあるようだ

人生の節目である結婚式も、昨今は単なるお祭りと化してきている
そういうところで働きながら
娘は自分の教会との違いを目の当たりにしつつ
今はただ粛々と自分の役目を果たすのみ・・


(2015.2.16.記)



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