音楽と共に生きる 37〜これまでのこと


18日
ミュージカル研究会による『赤毛のアン』が上演され
娘は”かしましいおばさん達”の一人として登場し
学生時代最後の舞台を無事に終えた
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いや、無事と書いたが、厳密に言えば無事ではなく
卒業式翌日の演奏会以降に患っていた咽頭炎の影響で
本番前日には39度の高熱が出てリハーサルに行けない状態に陥っている

今までもこういう危機的なところは何度も経験しているので
本人は落ち着いて「大丈夫。明日は行ける」と言っていたけれど
”代役がいない=絶対休めない”という状況は、そのたびにハラハラするものだ

毎年3月は本番が多く
風邪や花粉症や黄砂や色んなリスクが付きまとう時期でもあり
体調もギリギリ限界のところまで追い込まれる
音楽関係のイベントはどうしても10月〜クリスマスシーズン〜3月に集中するので
これが一年間まんべんなくあれば楽なのにねといつも思ってきたが
世の中そうは甘くない

娘のような学生でさえこうなのだから
世の中でプロとして生きている人々がギリギリの状況に追い込まれた時
みんなどうやってそれを乗り越えていくのだろうとわたしはいつも考えさせられる
芸能人やスポーツ選手等の薬物問題がしばしば取りざたされる中
そこではいつも追い込まれた人の心理と
絶望から逃れる術をもたない事の悲しさをしみじみ思うのだ

『どうしようもないと思われる時にもいつも必ず助けがある』

娘にとってこの6年間は、その証明のためにあったようなものだった
反対に、それを知るためにわざわざ切羽詰まったところに置かれるのだろうとも思う
最後の学生ミュージカルの本番翌日には
ホテルウェディングの聖歌隊の仕事が7挙式も入っており
3月は結婚式シーズンでもあるからこちらも非常に忙しく絶対に休めなかったが
これもギリギリで乗り越えた
更に翌日の予定は急きょキャンセルになり
こうして3月の最後の山場は不思議な助けのうちに乗り越えていったのだ

人間には、自分の力や頑張りではどうしても乗り越えられない事がある
「信仰」は弱い人間のすることだと人は言うけれど
元々人間はそんなに強いわけでもないのだから
若いうちに自分の限界を知った上で
自分に与えられた能力を生かす道を求めていけば
無理もないし、人をねたんだり、世の中を恨んだりすることもない
それはやがてその人の人間性を養い、品格となってあらわれる
誰かに比べて勝つことに一生懸命な人生では
「幸せのゴール」はいつも先へ先へと動いていってしまうだろう
わたしは子ども達にそのような空しい人生を送らせたくないと思ってきたから
彼らがそれぞれ別の分野で自分を生かす道を見出す過程において
本当の幸せがどこにあるのか
そして、それを得るのは人間の力によるのではないと悟っていったこと
つまり、彼らがやることが上手くいくほどかえって謙虚になっていったことを
今とても嬉しく思っている

娘が大学に入学した時
主科の先生から初めに言われたことは
「この(音楽の)世界は”出会い”と”運”で決まります」
というものだった
娘にとっての6年間は
良い先生と、良い仲間と、多くの舞台経験に恵まれてきたが
それはみな自分が探したのではなく向こうからやってきたものばかりで
ひとつひとつの舞台から新たな出会いとチャンスが生れ
今の音楽関係の仕事に結びついている
本来なら4年で終わるはずだった音楽の勉強も
結局大学院進学にまで至ったのは
そうすることが当たり前であるような自然な動きがあったからで
別に天から声が聞こえてくるわけではない
ただ、狙ったのではなくて自然とそうなるチャンスがあったということだ

「この(音楽の)世界は”出会い”と”運”で決まります」

今あの時の先生の言葉は本当にそうだと思う
これは言いかえれば、すべては”神の采配”によるということ
自分が望んだ舞台には選ばれず
かえって望まなかった更に大きな舞台に選ばれることもあり
それらは一生ものの経歴になっていった
以前は情けなく思ったことも
ふり返ればすべては良かったと思える
だから、人生は人の計画通りに行かない事ばかりだが
今は上手くいかない事があっても
先に希望をもって進むことができるのだ
そうできる強さを身に付けたことが、これから最大の強みになるだろう


  「希望は失望に終ることはない
   なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって
   神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」
          (ローマ人への手紙5章5節)




(2016.3.23.記)



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