音楽と共に生きる 38〜これからのこと


先日、娘がいつものように地元合唱団の発声指導に行くと
『卒業おめでとうございます』とのメッセージが添えられたお花が用意されていた



この合唱団に招いてもらったのは学部4年生の11月だったと記憶しているが
これまでの2年と4ヶ月の間には
測り知れないほどの信頼関係ができていることを感謝せずにはいられない
団員の中には娘の出演する舞台を見に来てくださる方もたくさんあって
わたしも親として挨拶すると
「先生のファンです」「いつもとっても楽しい指導をしてもらってるんですよ」と
口々に言われることが嬉しく、こうした応援に娘がどんなに励まされていることかと
いや、娘ばかりか
地元にあってわたしたちもどんなに勇気づけられていることだろうかと
本当に有難く感謝なことだと思っている

元はと言えば、この合唱団へ来て指導してみないかと声をかけてくださったのは
娘が小4の時から歌を習ってきた先生だった
自分の恩師が伴奏を務める合唱団で働けるなんて夢のようだと喜んで行くことにしたが
その頃ちょうどコンクールの全国大会で1位になったばかりだったので
まだ大学生ではあってもちゃんと指導者として信用してもらえる材料が用意されていたことも
絶妙のタイミングだったと思う

そういうちょうどいいタイミングの中で始めた合唱団の仕事は
娘にとっては緊張の連続である一方
自分の持っているものを最大限に生かしてぶつかっていく指導は
いつも変化に富んでいて
団員の人たちにも楽しい指導として受け入れられていく
娘は音楽をいつも”楽しいもの”として人に伝えたいと願っているので
相手の年齢に応じて内容を変えながら
どうすればそれが伝わるのかを研究する日々が続いた
また、他の地域にも娘を待ってくれている合唱団があって
そういう信頼関係ができていくことが娘にとっても嬉しかった

更には、合唱団つながりで自治体が関係する行事にも招かれるようになり
去る12日には震災復興応援のチャリティコンサートにも出演したし
昨年出演した平和コンサートに今年も出ることになっている
こうして地元にあって「ソプラノ歌手」として公式に宣伝してもらいながら
友人つながりでのコンサート依頼も色々あり
音楽活動の基盤は着実に広がりを見せている
また、ホテルの聖歌隊でも良い人たちとつながっていて
この出会いをこれからも大切にしていきたい

そんなたくさんの”縁”に恵まれた中で
大学院の修了が近づくにつれ
これからどうするのかを「決断」する時期がやってきた
音楽活動を中心にする生活は当然不安定だから
安定を求めるなら、教職の道を選ぶことが好ましい
今は中高の教員免許だけでも小学校で教えることができるし
実際にそういう具体的な話もあったが
常勤の仕事となると、今までの仕事はほとんどできなくなってしまうので
そちらの話は断り
音楽関係の仕事の合間に別業種のアルバイトを入れて
何とか生計を立てていくことはすでに昨年のうちに決めていた

世の中の常識で言えば
わざわざ大学院まで行くのは安定した職を得るためであって
不安定な道を選ぶのは愚かな人のすることなのかもしれない
だが、娘の場合
大学院まで行くことで多くのチャンスを得たため
結果的に音楽の道からは離れられなくなってしまった
だからこれを自分の道として選んで行く事に迷いはなかったのだった

そんな覚悟を決めた彼女に
神さまはひとつのごほうびを下さるらしい
このたび首席での卒業が決まった時
大学側から、大学院で借りた奨学金の返還を免除する申請書を渡されたのだ
入学の時に優秀者奨学金を得ていたので学費は半額だったが
残りの半額+必要経費を賄うために借りた奨学金が返済不要となれば
大学院を全くタダで卒業することになる
こういう制度については特別な人にしか当てはまらないと思っていたから
(例えば世界的な研究成果を上げたとか、国際コンクールで優勝したとか)
各大学院の成績上位者には一様にチャンスがあることを知った時には驚いたものだ

近ごろ何かと批判されることの多い奨学金だが
これがなければうちの子どもたちは大学院どころか大学へも行けていない
もちろんすべてが返済不要なら嬉しいに決まっているけれど
そうなると借りることのできる人はごく一部の優秀者に限られてしまうだろう
お金がない人ほど簡単に借りる事のできる今の奨学金制度は
有利子の「二種」で利子の上限は3パーセントに設定されていても
利子はいつも変動し現在1パーセント未満だから
実際にはかなりの低金利で貸してくれることになる
銀行はお金持ちには簡単にお金を貸してくれるけれど
そうでない人にとってはここが最後の砦
これにのるかどうかは、本人の覚悟の問題だ

娘は学部4年の時には学費全額免除生に選ばれたが
それまでの3年間は毎年160万円の学費を納めている
入学時には学費免除は夢でしかなかったから
踏み出すには勇気が必要だった
でもそれを選んだのは本人であり
すべてのことは本人の「覚悟」から始まっている
そういう覚悟を人はしばしば「愚か」と言い
その同じ口が若者に向かって「夢を持て」とも言う
この矛盾した世の中にあって
万民に対して優しい制度が整っていなくても
今ある制度を最大限に利用して進んでいかなければ
若い時代は瞬く間に過ぎ去ってしまうだろう

これから社会に出る娘に「夢は何か」と問う人もあるというが
彼女の答えはいつも同じで「夢は特にない」と言う
ただ音楽が好きだから、歌いたいから歌い続ける
今までもそうであったように
この先にあることもすべて神さまにおまかせの人生だから
自分では特別に何かになろうとこだわることも気負いもない
でも、その意味を理解してくれる人はそう多くはないかもしれないけれど、、、

この春からは幼稚園で歌を教える仕事も始まるので
今後こういう仕事が増えてもいいように
アルバイトも時間調整がしやすいところを選び
早速来週から出勤する事が決まった
半年先には大学で借りた奨学金の返還もはじまる
多額の借金を抱えてスタートする新生活に悲壮感はなく
今はただ”働くことができる”、そのことが嬉しい・・と
3年前に息子も同じようなことを言っていたことを思い出した

こうしてほとんど見切り発車の状態ながら
「大丈夫。ちゃんと生きていけるよ」と確信していることが
彼女のこれからの人生を支えていくだろう



    「信仰とは、望んでいる事がらを確信し
     まだ見ていない事実を確認することである」
         (ヘブル人への手紙11章1節)




(2016.3.25.記)



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