音楽と共に生きる 53〜宗教音楽


5月末のコンクール以来
娘の活動記録の更新が滞っているが
この2カ月余りの間も
演奏会や指導の仕事が色々あって
気がつけばドイツ行きまでもう10日程になっている

今日は連休初日で混雑が予想される中
広島駅近くの流川教会へ
娘の出演する演奏会に夫と行ってきた



原爆で倒壊したこの教会には
当時の燃えた木が残されていて
近年になって今の教会堂に建て替える際
この木で十字架を造った
戦後建てなおした教会堂では
当時悲惨な目にあった人々にはこの木を見るのは辛いとのことで
長年使われなかったらしい



今年はマルティン・ルターの宗教改革からちょうど500年に当たり
今日の演奏会の曲目も
バッハやヘンデルの宗教曲が中心だった

音楽をやっている人にはクリスチャンが多いので
娘が教会の子どもだとわかると
好意的に見てもらえることも多いらしい

先月ソリストを依頼された合唱団の定期演奏会では
珍しいジャズのミサ曲を歌ったが
facebookで娘の名前が聖書由来であることが紹介されていた
(画像はfacebookより)


更には娘のコメントも以下のように記されている
「ソロなのですが、いかにもソロというのじゃなく
合唱というか、音楽の一部でありたい」

そうそう
みんなで一つの音楽を作り上げる時には
”わたしがぁぁぁぁ〜”と自己主張するのはNGだ
舞台は個人が目立つためにあるのではなく
お客さんに良い音楽を届けることが一番重要なのだからね

6月に出演した広島市文化財団主催の演奏会では
演奏の合間に平和についての話もあった



”自分こそが正しい存在であると思い
相手を自分に合わせるよう求めるのは平和ではない”
言葉は違っているけれど内容はそんな感じで
それは合唱においても重要なポイントだと思った

基本的に人間は間違う生き物だから
必ず「正しい基準」が必要になる
それが音楽では「楽譜」だ
楽譜を無視して自分の感覚で各々が歌い始めたら
人の心を感動させる音楽にはならない

毎年この時期は全国で「平和コンサート」が行われるが
楽譜という基準に自分を合わせるよう努力するのも
物の見方が変わるいい機会になるかもしれない
そうして団員の心が一つになる時
はじめて本当の意味での平和コンサートが実現するのだろう

さらに宗教曲においては
その歌詞はすべて聖書から出ており
歌い手は聖書の内容を正しく理解することが重要だ
それは単なる知識としてではなく
人生の土台となる生き方を理解することを意味している
だから音楽家にはクリスチャンが多いし
娘は宗教曲をとても大切にしていて
難しい曲が多いので非常に苦労はするが
そこに魂を集中する努力を惜しまない

今日も難しいソロ曲を務め
何とか演奏会を終えて帰宅すると
10月に福岡で行われる演奏会の楽譜が届いていた
昨年『メサイア』を歌った大学から再び演奏依頼があり
また宗教曲を歌うことになっているのだ
(これがまた難しい〜〜)

「今日のがやっと終わったと思ったらまた次か・・」と
追われる日々に思わずため息も出るけれど
娘の持ち声をひときわ高める宗教曲は
これからも娘を成長させてくれるだろう


(2017.8.11.記)



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