いいかげんな話



<18.本来の姿>

連日の猛暑の中、夏野菜が順調に採れている
無農薬の野菜作りを始めて10年以上になるが
「家で必要な野菜の3分の一ほど採りたい」との母の願いをはるかに越え
この夏はほとんどうちの野菜で食卓をまかなってきた
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野菜作りを始めた頃から
夫が好きだという水ナスも種を取り寄せて育てるようになったものの
どうしても上手く育たない年が続いたけれど
今年の出来はなかなかスゴイ!
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これは”ゴロゴロ生っている”という表現がぴったりじゃないかと?!
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今までこんなに大きくなるまで置いたことはなくて
「水ナス本来の姿」が見れたことに感動!
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たくさん実をつけることで木が弱る心配もあったけど
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実を小さいうちに採るとか、摘果するなどの調整はせず
今年はとにかく「自然にまかせよう」という感覚でやってきた

この10年余りを振り返ると
ここまでずっと「自然に則した栽培方法」というものを模索してきたのに
やってきたことと言えば、いつも自分できっちり計画を立てることばかりで
「自然にまかせる」よりも、人為的につつきまわすことが常だった

最初の頃は熱心に発酵肥料を作り、色んな微生物資材も手作りしては散布
ところが、微生物のことなども勉強もして知識だけは増えたものの
微生物を自分の計画通りコントロールできると考えた時点で
すでに「自然」ではなかったわけで、、、

わたしはきちんと計画を立てて行動するのが好きな性分だけど
その結果がコレでは悲しい、、(写真は2005年当時)
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ハダニやアザミウマにやられると
花色は悪くなり、ガクは白っぽく、実は「石ナス」と呼ばれるようにカチカチになる
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その後、”病虫害の原因は肥料にある”との理論を勉強し
「自然栽培」へ移行したものの
今度は養分不足による弊害(生長不良や実つきが悪い等)が出た
予想はしていたけれど
現実はやはり理論通りにはいかないものだ

詳しくは『薔薇の咲く教会〜How to』ページに記してきたように
毎年懲りずに色んな栽培方法を試みてきた末
わたしは今年初め母に「今年はやり方を決めずに自由にやろうよ」と話した
お互いたくさん失敗をしてきたから
とりあえず「これをやったらダメになる」というポイントだけは知っている
この「余計なお世話」を省くだけでも何か好転するかもしれない
いや、むしろそこが一番重要なのかも?!

決めつけない、しばられない、大らかな感覚で臨んだ今年の畑や庭では
この春から、理由が説明できないような変化が起きている
とにかく植物がみんな伸び伸びとして元気で
これを見ると以前の姿は明らかに「委縮」していたように思えてきた

それはちょうど
親の理想を押し付けてきちきち管理された子どもが
本来の姿で生きられず、委縮した状態に陥っていく様子を
植物を通して目の当たりにするような思いがするのだ

ちまたでは
「ありの〜ままの〜姿〜見せるのよ〜」と歌う曲(『アナと雪の女王より』)がはやっている
原曲の歌詞「Let it go」は、「あきらめる・手放す」といった意味だが
自分本来の姿を見いだすには
今まで長年こだわって(信じて)きたことも、頑張ってきた自分も
一度リセットする必要があることを知っていれば
「Let it go」を「ありのままの」と訳したのはなるほどと思うし
更には
「Let it go〜Let it go〜」と歌う口と「ありの〜ままの〜」の口が似ており
直訳するより受け入れやすいことも考慮されているらしいことが興味深い

この10年余りを振り返りながら、わたしは母に言った
「最初の頃は何か”すごいこと”が起こるような気がしていたよね」
”すごいこと”の中には、収穫量(数)も含まれており
実際に、最初の1〜2年目だけ収量が一時的に多かったため(ビギナーズラック?)
もっといけるんじゃないかと、つい欲も出てしまう、、
そのために、こんなこともしてあんなこともして・・・と綿密に計画を練り
心の中は「好奇心」と共に「野望」や「妄想」が満ちていた

一生懸命やればやるほど
人は、自分がやっている事が絶対正しいと信じたくなるもの
しかし
”自然に則した栽培方法を求めれば求めるほど計画通りにはいかない”ことが
この10年色々やってきた末の答えだった
どんなに熱心であっても、「余計なお世話」をすればダメになり
かといって放置すればいいというもんじゃないし
何をどうしていけばちょうどいいのかといったマニュアルはなく
本や人の情報も当てにはならない
結局のところ、変な言い方かもしれないが
自然栽培って「心がけ」が問われるんじゃないかとも思うのだ

そして、計画通りの栽培をあきらめた今年になって事態は変わった
もはや、何がどうしてこうなるのか説明はつかず
かといって来年も同じようになるという気もしない
来年のことは”神のみぞ知る”・・ということかなと

ただ、母はこれからも野菜作りが「好き」だから続けるだろう
雨の日も日照りの時も、野菜が気になって畑に出ずにはいられない
来年は80になるし、今の時点で負担になる分の鉢(コンテナ)は減らしたが
それは、野菜に対して心をかけられるちょうどいい数に限定するためだ
自分の体(体力)のことは自分が一番わかっていても
年をとるにつれて、現実を認めたくない自分との戦いがわたしにもある
同じ年代の人の中でも元気な人と比べてガッカリしたり
そんなことをやっている間は、心はどんどん闇に向かうばかり・・

母にとって野菜栽培は
自分が一番無心になれる、そして最も自分らしく居られる大事な仕事というか
すでにライフワークみたいなものだ
これに没頭している間は、持病の足の痛みも忘れているという
今はもうたくさん採ろうというよりも
ただ野菜が可愛くてお世話をしながら
「もし来年も元気で作らせてもらえるなら、こんな風にしてみたいね」と
以前の礼拝できいた聖書のみことばのようなことを言っている

 「よく聞きなさい。『きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し
  商売をして一もうけしよう』と言う者たちよ
  あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ
  あなたがたのいのちは、どんなものであるか
  あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない
  むしろ、あなたがたは
  『主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう』
  と言うべきである」  (ヤコブの手紙4章13-15節)


豆科は連作できないとの常識に反して
一度収穫を終えた枝豆の鉢で再び枝豆が育っている
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また、豆科以上に連作が難しいとされるナス科のトマト・ナス・ピーマンも
同じ畑の同じ場所で育てて3年目になるが、特に問題は起きていない
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上の写真は一週間前の様子だが、この後ピーマンは一気に勢いを増し
今朝の様子はこちら↓
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ちなみに、こういう現象は自然農を模索している人にとっては当たり前のことらしい
つまりこれが「本来の姿」なのだろう
そして従来農法においては常識外れの姿だと思うと
昔夢見た”すごいこと”を目の当たりにできるのが感慨深い


(2014.7.31)



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